妻に無精子症を隠していたら、ある日「あなたもパパよ」と告げられた 今も明かせずにいる夫のプライドと葛藤

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妻がニコニコしながら…

 言い出せないままに平気な顔をして新婚生活を送った。内心はいつバレるかわからないとビクビクしていたし、こんな男が結婚していていいんだろうかとも思っていた。昼間は仕事をしているからいい。家に帰るときがつらかった。夜はもっとつらかった。それでも彼は妻と定期的に関係をもった。

「1年ほどたったころ、帰宅すると妻がニコニコしながら『あなたもパパよ!』って。衝撃でしたね。だって僕は無精子症なんだから」

 彼はふと泣き笑いのような顔になった。まじめで前向き、どこへ出しても恥ずかしくない立派な妻が、「浮気か本気か知らないけど、他に男がいたというわけです」と小声で言った。思い返せば、静佳さんにプロポーズしたとき、彼女は少し逡巡していた。新婚生活を送る中で、夜中にこそこそ電話をしているのを見てしまったこともある。まさかというより、やっぱり誰かいたのかと腑に落ちた気になった。

「今で言う托卵。バカにしてますよね。僕が気づかないと思っていたんでしょうけど」

 ただ、時間がたつにつれて、彼は「それでもいいか」と思い始めた。静佳さんの子には違いない。どうせ自分には子どもが望めないのだ。妻と誰かとの間にできた子であっても、自分の子として戸籍に入れ、育てていけるのは案外、悪いことではないかもしれない。

「つわりもあったし流産の危機もあったけど、静佳はがんばりましたよ。どうしても産みたかったんでしょう。僕はそんな妻を心の中では冷たく見ながら、現実には早く帰って家事をしたり妻をいたわったりしました。あなたは本当にやさしいと妻は涙ぐんでいたこともある。そうだよ、やさしいよ。だって他の男の子を産む妻を、こんなに大事にしているんだからと心の中でつぶやく。かなり自虐的でしたけど、ある意味、究極の満足感を得ていたのかもしれない」

妻の不貞、考えられるのは結婚前から…

 それにしても……と彼は言う。結婚して1年たらずで妊娠したということは、もしかしたら妻は、ずっとつきあっている男性がいて、自分が結婚したら彼の子を産もうと考えていたのではないだろうか、と。結婚は計画的だったのかもしれない。僕なら騙しやすいと思ったんでしょうかねと、彼の声はさらに小さくなっていく。

 一夜の関係を結ぶような女性ではない。だから考えられるのは、結婚前からの不倫の相手の子なのだろうと彼は言う。

「いざ出産というとき、僕も立ち会いました。妻がもしかしたら他の男の名前を言うのではないかと恐ろしい期待をしていたところもあります。でも妻は立派に産んだ。なぜか僕は涙が止まらなくて、看護師さんや助産師さんたちに『いいパパになりそうね』と褒められて。妻に『ありがとう』と言いましたが、それだけはちょっと詭弁だったなと思っています」

 妻が退院するまでには「実は無精子症なんだ」と言いたかった。だが言えなかった。自分自身、それを認めたくなかったのと、やはりプライドが邪魔したんでしょう、くだらないけど本音としてはそうなんだと思うと彼は言った。

涼子さんとの再会

 男性の無精子症は、女性の不妊症とはまた少し違う感覚がありそうだ。不妊症だからといって、性的にダメだと烙印を押されたわけではない。どうしても子どもがほしいなら、女性なら現実的な手立てを考えるだろう。だが男性は、特に幹一郎さんは「男としてダメ」と自分で烙印を押してしまった。そしてそこから抜けられなくなった。

「子どもは女の子です。妻に似て目鼻立ちが整っていてかわいかった。その後は娘を中心にした生活になりました。妻に変わった様子は見られなかったのが、すごいなと感服したりもして。一緒に住んで同じ物を食べていれば、愛情はわいてきます。娘は僕に懐いているんですよ。命に代えてもいいと思うけど、実は他の男の遺伝子なんだよなと考えるとやはり気分が落ちます。でも娘の笑顔に救われる。自分自身が裂かれるような、そんな年月を送ってきました」

 娘は昨年から小学生になった。娘の成長を目の当たりにして、少しだけ緊張感が緩んだとき、彼は涼子さんとまたまた偶然、会ってしまった。

「彼女はなんだか僕の人生の要所要所で現れてくる。わかってるんですかね」

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