血縁者は「事件が親戚の結婚の障害となったことも」 未だ消息不明の「阿部定」 生きていれば「120歳」
位牌を肌身離さず
一つの救いといえば、取材を重ねるなかで、その死後も定が吉蔵の位牌を肌身離さずに持ち続け、生々流転の生活を送りながらも、ずっと「吉さん」だけを大切に思い続けていた事実がわかったことだ。
私の本の出版後には「実は阿部定の墓は谷中の墓地にある」など、いくつかの読者からの消息に関する情報提供の手紙や電話も受け取っていた。しかし、告げられた場所を訪ねても、とうとう阿部定の墓には行き着かなかった。蛇足ながら、定の墓の所在は不明のままだが、吉蔵の墓は、港区南麻布の某寺にあることがわかっている。
もう一つ、読者からの情報で目を引いたのが、「アベサダの店に飲みに行った」や「かつて私は阿部定さんと一緒に温泉に入ったことがある」という男性たちからの複数の便り。温泉の場所は下田や草津などさまざまだったが、おもしろいのは、その手紙文の最後には、決まって「彼女は混浴もまったく気にせず、その肌は熟年と言えるほど年を重ねていても、水をはじくほどの若々しさでした」と、まさしく阿部定伝説をより艶やかに彩るような記述の添えられていることだった。
「好きになるのは一生に一人でいい」
男性から金銭を毟り取るマニュアルがネットを通じて売買され、スマホを手にした十代の“立ちんぼ”が繁華街裏のストリートにたむろする令和の今だからこそ、たとえ相手の命を奪っても、誰にも汚されない二人キリの世界を求めた阿部定に、人々は惹き付けられるのだ。
少し前までは、彼女について書かれた書籍や記事などのラストは、「阿部定、生きていれば○歳」と締めくくられていることが多かった。令和7年のこの5月を当てはめると、120歳。さすがにもうこの世にはいないだろうが、いまだ消息不明のままだからこそなお、お定さんの純愛譚は、底知れぬ驚嘆とロマンをもって語り続けられるのだ。
【前編】では、阿部定の生い立ちから、事件の詳細、そして刑に服するまでを記している。
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