恩師とつくり上げた“理想の泳ぎ”で失格に… 「水没泳法」の高橋繁浩が再びの大舞台で見せた“メダル以上の輝き”(小林信也)

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父が作ったスクラップ

 多くの高校から誘いを受けた中で、鶴峯が監督を務める広島県の尾道高を選んだ。ミュンヘン五輪で優勝した田口信教の恩師・鶴峯は東京五輪6位の実績を持つ有名選手だった。

 高校でさらに才能を伸ばし、サンタクララ国際大会を制した。78年アジア大会でも100、200で優勝。いよいよ金メダルへの戦いが始まる、その矢先の泳法違反。悩みの泥沼にはまった高橋はそれから調子を崩した。84年のロス五輪出場を最後に引退した。

 もうレースには戻らないと決め、中京大学大学院に進み、スポーツ科学の研究者の道を選んだ。

 ところが86年、ルールが改正され、水没が問題とされなくなった。復帰したらどうかと周囲が騒ぎ出した。本人は3年のブランクもあり、すぐ決断できなかった。

「迷っていた3月、父が脳出血で亡くなったのです。家で遺品を見ると、父が作ったスクラップがあった。新聞を通して応援してくれていたんだと知ったら、ふんぎりがつきました」

 最終選考(日本選手権)までの3カ月で空白を埋め、代表権を取った。88年ソウル五輪では予選で10年ぶりに自身の持つ日本記録を更新した。決勝には残れなかったが、高橋の苦闘の歴史を知る記者たちは、通常は決勝進出者だけが呼ばれる公式記者会見場に高橋を招き、選手として最後となるレース後のインタビューをした。

「最後にそこで取材してもらえてうれしかった」

 高橋の挑戦にメダル以上の輝きがあることを記者たちは知っていた。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年5月1・8日号掲載

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