「最初に歌詞を見た時は、そりゃあ仰天しましたよ」 新田恵利が振り返る“いいことばかりじゃなかった”「おニャン子」時代 「なかじと一緒に“辞めよう”って」

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ファンに物を盗られるのはしょっちゅう

 グループの思わぬ醜聞により主要メンバーとして活動することになった新田。だが、人気の高まりに比例して災難も増えた。

「当時は電話帳に実家の住所が載っている時代で、ファンが毎日のように家の前に来てました。物を盗られるのはしょっちゅう。兄が蹴った庭の石ころを持ち去られたり、高校までついてこようとする車の前に立ちはだかった母がひかれたりしたことも。幸い、大きなケガはなかったのですが」

 これなどはまだ序の口。

「玄関の鍵を開けっぱなしにする家が多かった時代なので、そのまま家に入られ、向かいに借りていた私のアパートの部屋の鍵を盗まれたんです。その部屋からは服と写真が盗られ、翌日、ご近所さんが“昨日若い男の人が恵利ちゃんの服着て歩いてたわよ”って」

 完全に犯罪、ストーカープラス窃盗である。

「警察に相談したら“そんな仕事してるんだからしょうがないだろ”って。何より辛かったのはこの時、父の遺骨のすぐそばにかけていた鍵を持っていかれたことです。隣に父の遺骨が置いてあるのに、なんで平気で持ち去ったりできるんだろう、どんな神経してるんだろうって……。人間不信になりそうでした」

いいことばかりじゃなかった

 新田の父は、彼女が86年1月に「冬のオペラグラス」でソロデビューする1週間前に世を去った。

「デビューは決まっていたことなので、ちゃんとやろうと思ってました。ただ、歌番組で歌った後、私を見てほほ笑む大人たちを見たら、ダーッと涙が溢れてきて……。皆さん父のことはご存じなく悪気はないのですが、悲しい気持ちを抑え込んで何とか歌い切った状態でしたからね。感激の涙と思われて、番組的には大丈夫でしたけど」

 意図せず継続したおニャン子時代、当人はどう位置付けているのか。

「ファンの皆さんの応援には感謝していますが、いいことばかりじゃなかったですね。たくさんのファンレターを読む時間もなくて」

 でも、と続ける。

「20年前にファンの人たちと運動会イベントをやった際、小さい女の子と一緒に来た方がいて、その方から去年、“あの時連れて行った娘が結婚します”という報告をもらいました。あれはうれしかったなあ。おニャン子を卒業してだいぶたってから、ファンのありがたみを感じるようになりました。今となっては全部いい思い出ですね」

 セーラー服を脱いでン十年を経ての、しみじみとした大人の述懐である。

週刊新潮 2025年5月1・8日号掲載

ワイド特集「天国と地獄」より

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