「最初に歌詞を見た時は、そりゃあ仰天しましたよ」 新田恵利が振り返る“いいことばかりじゃなかった”「おニャン子」時代 「なかじと一緒に“辞めよう”って」

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 ♪セーラー服を~脱がさないで~。「おニャン子クラブ」なる素人同然の女の子たちの“集団歌唱”がお茶の間をくぎ付けにしたのは40年前。そのアイコン的存在だった新田恵利(57)が、歌詞以上に過激で、昭和の時代ならではの泣くに泣けない思い出の数々を明かした。

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「パパ、ママ、私こんな子じゃないの!」

「最初に歌詞を見た時は、そりゃあ仰天しましたよ」

 そう振り返るのは、おニャン子結成当時からのメンバー、すなわち「会員番号4番」の新田本人。今もタレントとして活動中だ。

 彼女たちを生んだ1985年4月放送開始のフジテレビ「夕やけニャンニャン」は、女子大生ブームの火付け役「オールナイトフジ」の女子高生版スペシャル番組から派生したものだ。放送が始まって3カ月後、冒頭の歌詞で知られる「セーラー服を脱がさないで」でレコードデビューするが、

「私のソロパートはとくにトンでもない歌詞で……」

 と、新田は苦笑いする。

「あの頃は“パパママ、私こんな子じゃないの!”と心の中で思ってたけど、それを言うのも変な話。だから誤解しないでと思いつつ、まともに両親の顔を見られない日々が続きました」

日給5000円に引かれて

 さらには、そもそもレコードデビュー前に辞めるつもりだったとも。

「番組が始まってすぐ、華やかな芸能界に私は向いてないなと思って。もともと懸賞のハワイ旅行目当てでスペシャル番組に応募して、『夕ニャン』も日給5000円に引かれてやることにした。けれど、芸能界に興味もなくて、なかじ(注・会員番号5番の中島美春)と一緒に“辞めよう”って話してたんです」

 ところが、だ。

「番組が始まって2週間後、週刊誌に喫煙が報じられたメンバー5人が去ることに。私もいくらバイト感覚とはいえ、人が足りないのは分かる。だから辞めるに辞められなくなって。あの事件がなければ辞めていただろうし、その後の芸能活動もなかったでしょうね」

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