わずか5年4カ月で出所、遺族に謝罪はなし…3人殺傷「西鉄バスジャック事件」少年法に守られた「17歳」の生い立ちと“その後”
護身用にカッターナイフ
身長165センチの小柄な体格に神経質そうな表情。中学時代の友人たちに聞くと、
「普段はマジメだが、キレやすい性格。護身用にカッターナイフを持ち歩いていた」
「勉強は出来たが、運動神経はほとんどゼロ。腕立て伏せも5回位しかできなかった」
「そのくせ、プライドだけは高く、“お前、こげん事も分らんとか”なんて人を小馬鹿にするため嫌われて、いつもイジメの対象になっていた」
中3の2月に学校の非常階段から飛び下りて、腰椎骨折の重傷を負い、高校は県内ナンバー2の進学校に入学したが、9日間通っただけで翌年5月には自主退学している。
中学の校長によれば、
「入試直前のこのケガが原因で、第一志望の高校へ行けなくなったという報道もありましたが、それは事実と違います。もともと彼の成績はトップではなかったし、階段での事故も、言われているようにイジメられていたわけではなく、友人たちと遊んでいたのが、彼だけ腰から落ちてしまったというのが真相です」
世間はGWなのに…
山田が国立肥前療養所に入院したのは、2000年3月。自室に鍵をかけて閉じ籠もり、インターネットで購入したナイフを母親に向けたためだった。
「この時、両親が佐賀署に相談し、警察の紹介で医者に診てもらったのです。そこでの診断は『心因性の軽い精神障害』で、入院の必要なし、というものでした。しかし、母親は“刃物を持ち出す息子は手に負えない”と療養所に頼み込んで、半ば強制的に入院させている。山田にしてみれば、それまで自分に従順だった家族からも、ついに裏切られたという思いがあったのかも知れません」(事情通)
山田は入院後、一時帰宅を2回許されていた。事件の日は3回目の一時帰宅中で、当日の午前中に迎えにきた両親の車でいったん自宅に帰り、それから自転車で佐賀バスセンターに向かっている。地元記者の話。
「彼は供述で“一時帰宅の時を狙っていた”と言っています。もし、それが事実ならば始めからGW中の犯行を計画し、殺人ゲームを楽しんだことになる。かなりの知能犯と言えますよ。車内での言動も精神を病んでいるとは思えないほど論理的な面もあり、責任能力は十分にあるというのが、捜査本部の見方です」
実際、山田は車内でこうも言い放っているのである。
「世間はゴールデンウイークなのに、お前たちはこんな目に遭っている…」
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逮捕後、少年の自宅からは「犯行メモ」が押収された。その中には、
〈13歳以下は児童相談所に通告されて、はいおしまい〉
〈14歳以上15歳以下は初等少年院を1年で出れるんだよ〉
〈16歳以上は控えめに。起訴されちゃうからね〉
〈18歳以上はもう大人。死刑になっちゃうよ〉
などと記されていた。山田が少年法を十分理解した上で、犯行に及んでいることがわかる。
実際、当時17歳という年齢から、少年法の壁に阻まれ、山田は京都医療少年院に送致され、刑に服することすらなかった。そして5年4カ月後、22歳で仮退院している。
「週刊新潮」2018年12月27日号では、少年の“その後”を取材している。死亡した女性の長男はこう証言している。
「少年院を出る日が迫って来たときに、担当官が手紙を持ってきたことがありました。“これまで、まったく反省の態度がなかったが、来年、仮退院の審査があり、謝罪させたい”“この機を逃さず、更生させたいので、一度会っていただけないか”と言われました」
しかし、仮退院のための方便にしか受け止められなかったため、面会を拒否。結局、少年とはこの時点まで一度も顔を合わせたことがないという。
「賠償金ということでは加害者の両親から、私の父親ががんで亡くなる前に一旦ケジメをつけようとまとまった額を受け取りました。その後は、我々きょうだい3人に月々1、2万円ずつが銀行に振り込まれてきています。でも、いまでは加害者も両親もどこにいるのかわかりません」
「西鉄バスジャック事件」は、少年法のあり方を今でも我々に問いかけている。
【前編】では、乗客5名の証言による、犯行現場の様子を詳述している。
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