「ゴジラ」音楽の生みの親「伊福部昭」の伝説が令和に復活 坂本龍一も訪れた1983年「日比谷公会堂コンサート」の衝撃とは
ゴジラと共に……
以後、しばらくゴジラ映画は“休止”となる。9年ぶりに第16作「ゴジラ」(橋本幸治監督、1984年)で復活。音楽は小六禮次郎が担当した。次の第17作「ゴジラvsビオランテ」(大森一樹監督、1989年)では、すぎやまこういちが音楽を担当したが、製作総指揮で東宝会長・田中友幸の提案で、ゴジラ登場のシーンだけに、伊福部音楽が使用された。
「もちろん、小六さんやすぎやまさんの音楽も素晴らしかったのですが、映画を観終わって印象に残っているのは、やはり伊福部音楽なんです」(岩瀬さん)
そこで、次の第18作「ゴジラvsキングギドラ」(大森一樹監督、1991年)で、伊福部昭に全面復帰してもらおうということになった。しかし……
「ダメなんです。なかなかOKしてくださらない。すでに77歳で、ゴジラ音楽から16年も離れていましたから、体力的にも不安だったのかもしれません。3回くらい通って、ようやくOKをいただきました。ところが……」
引き受ける条件として、とんでもない要望が出た。
「むかしながらのスタイルで、世田谷・砧の東宝ステージ(スタジオ)に、大オーケストラを入れて、映像をスクリーンに映写し、それを観ながら指揮・録音したいというのです」
岩瀬さんは、頭を抱えてしまった。
「すでに映画音楽は、録音専用スタジオで、小さなモニター映像を観ながら演奏し、あとでミキシング合成するスタイルになっていました。よって、砧のステージには、もう録音設備がないんです。もちろん譜面台もない。すべての関係機材を借りてきて、新たにセッティングしなければなりませんでした」
しかし東宝側は、この要望を、すべて呑んだ。かくして、21世紀目前とは思えない、驚異的な録音風景が現出した。
「スクリーンで暴れるゴジラやキングギドラに合わせて、大オーケストラが勇壮な伊福部音楽を奏でる――壮観でした。“伊福部復活”を聞きつけた関係者が殺到し、まるで日本中の特撮オタクが集まったような騒ぎでした」
以後、第19作「ゴジラvsモスラ」(大河原孝夫監督、1992年)、第20作「ゴジラvsメカゴジラ」(大河原孝夫監督、1993年)と、つづけて伊福部が手がけた。だが次の第21作「ゴジラvsスペースゴジラ」(山下賢章監督、1994年)では、仕事の都合で、どうしても伊福部の手が空かず、服部隆之が音楽を担当した。それでもやはり、ゴジラ登場の場面だけは伊福部音楽が使用された。
そして「ゴジラ、死す」がキャッチコピーとなった、第22作「ゴジラvsデストロイア」(大河原孝夫監督、1995年)で、ゴジラの死を描くことになった。
「ここでシリーズとしては一区切りということになりました。そこで、あらためて伊福部先生にお願いにうかがうと、『まあ、ゴジラ誕生(の音楽)に立ち会った者としては、最期も見届けないわけにはいきませんね』と、引き受けてくださることになりました」
公開の年、伊福部は81歳である。純音楽は、2006年に91歳で逝去する直前まで精力的に発表しつづけたが、映画音楽は、これが最後の仕事となった。ゴジラ死去とともに、伊福部の映画音楽人生も一段落となったのである。
だが、ご存じのように、その後の“ミレニアム・ゴジラ”シリーズはもちろん、第29作「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督、樋口真嗣監督、鷺巣詩郎音楽、2016年)でも、第30作「ゴジラ-1.0」(山崎貴監督、佐藤直紀音楽、2023年)でも、主要場面には伊福部音楽が使用されている。
まさにコンサートのタイトルどおり、ご本人亡きあとも〈伊福部昭総進撃〉は、つづいているのである。
(一部敬称略)
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