「ゴジラ」音楽の生みの親「伊福部昭」の伝説が令和に復活 坂本龍一も訪れた1983年「日比谷公会堂コンサート」の衝撃とは
伝説のコンサート
5月26日(月)、〈伊福部昭総進撃 キング伊福部まつりの夕べ〉なる、物々しいタイトルのコンサートが開催される。
【写真で見る】43年前の熱狂を伝える、「伝説のコンサート」の復刻版
伊福部昭(1914~2006)――戦後日本を代表する作曲家である。ほぼ独学で音楽を身につけ、1935年、21歳のときに作曲した《日本狂詩曲》がチェレプニン賞を受賞して、本格デビュー。翌年、アメリカで初演され、絶賛される。以後、《交響譚詩》《シンフォニア・タプカーラ》など、土俗的なパワーと迫力あるリズムにあふれた名曲を続々発表。後年には、東京音楽大学の学長もつとめた。
だが、やはり一般の人々にとって、伊福部昭といえば映画音楽だろう。「ゴジラ」「地球防衛軍」「怪獣総進撃」「大魔神」などの特撮作品や、「座頭市」シリーズなどで、おなじみだ。その数は、91年の生涯で220作以上におよんだ。特に1950年代は、毎年20作近い数を担当しており、「映画館に伊福部昭が流れていない日はない」とまでいわれた。あの、何かとんでもないことが起きるような、不安と懐かしさと力強さが一体化した音楽は、聴く人を興奮させずにはおかない。
そんな伊福部昭の「総進撃」コンサートだというのだが――主催者である、キングレコード株式会社の、松下久昭プロデューサーにうかがった。
「昨年は伊福部先生の生誕110年、また、ゴジラ生誕(公開)70年でした。そこで昨年秋から、“キング伊福部まつり”と称して、CDやLPの復刻をつづけているんです。その掉尾を飾るのが、今回の〈伊福部昭総進撃〉コンサートです」
しかも、「伝説のコンサートふたたび」とのキャッチコピーが付いている。どこが「伝説」なのだろうか。
「実は、いまでこそ伊福部先生の映画音楽は、クラシック音楽と同格に愛聴されていますが、かつては、そうではなかったのです。映画音楽とは、映画公開が終われば忘れられるもので、あらためて聴くようなものではないと思われていました。ところが、1983年8月5日、日比谷公会堂で、〈伊福部昭 SF特撮映画音楽の夕べ〉と題するコンサートが開催されました。これは『ゴジラ』をはじめとする東宝特撮映画の伊福部音楽を東京交響楽団が演奏するという、画期的なコンサートでした。指揮は、この1月に86歳で逝去された、汐澤安彦さん。これが大成功となり、以後、伊福部音楽は、それまで以上に、きちんと聴かれるようになったのです」
このコンサートに関与していたのが、東宝音楽出版(現・東宝ミュージック)のプロデューサーで、のちに同社の代表取締役をつとめる、岩瀬政雄さん(76)だった。今回、その岩瀬さんにも、お話をうかがうことができた。
レコードで人気が
「あのコンサート開催に至るまでは、けっこう長い道のりがありました」(岩瀬政雄さん)
当時の「東宝レコード」は、特に有名歌手が所属しているわけでもなく、宝塚歌劇や、映画俳優がうたう主題歌などをリリースしていた。
「そこで1978年に、黛敏郎さんの映画音楽を集めて、LP『黛敏郎の世界』をリリースしたんです。『はだかの大将』『赤線地帯』『東京オリンピック』など――音源は、サウンドトラックからの再録ですから、制作費もあまりかからない。そうしたら、これがけっこう売れたんですよ。これはいけるとなって、“日本の映画音楽”シリーズと題し、第2弾で林光編、第3弾で佐藤勝編を出しました」
そして、第4弾「伊福部昭の世界」をリリースしたところ……
「もう、桁違いの売れ行きなんです。当時、新宿の紀伊国屋書店内にあったレコード店・帝都無線で、アルバム第1位となった。驚いてしまいました」
このアルバムには、東宝「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」「地球防衛軍」などのほか、大映「大魔神」、日活「日本列島」などの他社作品も含め、全15曲が収録されていた。
「そうしたところ、竹内博氏や西脇博光氏がやってきて、『今度は、ゴジラだけで1枚のアルバムができないか』というんです。しかも、すでにサンプル・テープみたいなものまで、つくってるじゃないですか」
故・竹内博氏は、特撮映画や、作家・香山滋(「ゴジラ」原作者)の研究家。西脇博光氏は、特撮音楽研究家だ。
「竹内氏は、当時、円谷プロの守衛をつとめながら、資料管理などの仕事をやっていました。そこが特撮マニアのたまり場となっていたんですね」
そこで、LP「ゴジラ」をリリースすると、これまた大ヒット。さらに「ゴジラ2」まで出して、“伊福部ゴジラ音楽”はすべて出し尽くした(最後は、伊福部以外の作曲家が書いたゴジラ音楽を集めて「ゴジラ3」まで出た)。これらのヒットで、“伊福部特撮音楽”の再評価は決定的なものとなった。
「そして、ここまで盛り上がったら、次は、コンサートをやろうという声が、マニアの間から起きたんです」
しかし……当の伊福部昭は、なかなか首を縦にふらなかった。
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