逮捕から1カ月 再生と破壊を繰り返す“ヒロスエ”という生き方
“ヒロスエ”の誕生
デビュー時から彼女を見てきた世代にとって、ヒロスエはやはりカタカナ表記がしっくりくるし、当時はどこからどう見ても「アイドル」だった。“国民的美少女”というのとは少し違う。つい昨日まで豊かな自然の中で元気に飛び回っていたような天衣無縫さがあり、どこか中性的で身近なアイドル。それがヒロスエだったのではないかと思う。芸能界に入ったきっかけは、中学2年生のときに見つけたCMオーディションでのグランプリだった。中学1年時の文集に「15歳の時-輝くモデルデビュー、18歳の時-芸能界に入り女優になる」と書いたことが実現したのである。とはいえ、15歳といえば中学3年生。
'96年には高校1年生で上京し、伯母宅で暮らしつつ、高校に通いながらの芸能活動が始まった。CMは目白押し、写真集が大きな話題となり、翌年には竹内まりやプロデュースによる「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューし、約60万枚のヒットを記録。続く岡本真夜プロデュースのセカンドシングル「大スキ!」はオリコン1位を獲得。その年の紅白歌合戦に出場。まさにアイドル路線を突っ走った。この年、映画に初主演し,新人賞を総なめにしている。
早稲田大学教育学部国語国文学科に自己推薦入試で合格し、'99年に入学するも初登校は6月になってから。このときもマスコミや学生、さらに野次馬などにもみくちゃにされている映像が流れた。憧れの芸能界に入って大人気となったものの、もう普通の生活はできないと彼女が思い知った瞬間かもしれない。
清純派の殻を壊したかった
このころから彼女に異変が見られるようになる。モデルや俳優と次々にスキャンダルが報じられた。若い女性なのだから恋愛のひとつやふたつあって当たり前だが、中性的妖精の魅力を勝手に抱いていたファンからみれば、“ヒロスエ”に色恋沙汰は似合わない。さらに2001年、リュック・ベッソンが製作・脚本を手がけた映画『WASABI』の製作発表会見で突如号泣。のちに「フランスで仕事をさせてもらった時には、日本の芸能界の矛盾みたいなものもすごく感じて、芸能界が汚れた世界に見えてしまった」と語っている。芸能界に入った15歳の少女が、どれほど周りの大人に「利用」されてきたのかが透けて見える。
その2か月後には、ある俳優とクラブで朝まで遊び明かした後、ドラマのロケ地までタクシーで直行、無賃乗車だったのを週刊誌に撮られて“奇行”“プッツン女優”などと書かれた。意図的にか無意識かはわからないが、彼女は自分について回る「清純派」のイメージを完膚なきまでにたたき壊したかったのかもしれない。このころ、個人的には「ただの清純派女優ではない」と非常に興味深かったのを記憶している。
その後は女優業をメインにすると音楽活動を封印。大学も退学するが、2003年末にいきなり結婚、妊娠を発表する。だが4年後に離婚、2010年にキャンドルアーティストとの再婚を発表,その後ふたりの子をもうけた。母としては自宅近くでよく子どもを自転車に乗せて疾走している姿や買い物をしている姿も見られている。時間がない中、「母としてがんばらなければいけない」という思いは強かったようだ。
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