通報した“遺族”が逮捕され…24年前に発生した「上海・邦人男性ひき逃げ死」の真相 ベテラン揃いの「特別捜査班」が編成された理由とは

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搬送時から事件性を疑われていた

 その後、母子は5月15日に殺人容疑で逮捕された。2002年8月28日に上海市第一中級人民法院で開かれた初公判では、息子Aが殺害を否認。妻Cは殺害を認めたものの、計画性を否認した。その10カ月後、2003年6月25日に言い渡された判決は、息子Aが無期懲役、妻Cが懲役12年と国外追放。同年8月22日には両者の控訴が棄却されている。

 先の記事では息子Aが「4月30日の未明に110番」とあるが、実際は「中国人の友人」と記述された通訳の中国人女性だった。2人は4月30日未明、“事故に遭った”Bさんを乗せた車で病院に現れた。そこで当直医はすでに、遺体の砕かれた頭蓋骨やアルコール臭などから事件性を疑っていた。

 一方、通訳女性と“事故”現場に急行した交通部の警官は、血の付いた衣類と靴を発見したものの、交通事故の痕跡がないことを怪しむ。報告を受けた所轄署はさらに上海市本署に報告し、双方の刑事部が捜査官を派遣した。現場検証や身元確認、検死解剖が一斉に行われていたのは午前4時前後のことだという。

 午前6時にはベテラン捜査員による「4.30事件特別捜査班」が編成され、捜査会議が開かれた。このとき、現在はレジェンド級の法医学者である閻建軍氏が殺人事件と断定。Bさんの頭部の負傷は鈍器によるもので、手に防御創とみられる骨折を負っていたこと、体内から睡眠薬などが見つかったことなどを根拠とした。加えて、Bさんには上海在住の親族がいないことから、閻氏は母子と女性通訳を容疑者として指摘した。

事件捜査の大ベテランが結集

 特別捜査班は5つのグループに分かれての捜査を開始。周辺の聞き込みや現場と車の再検証、防犯カメラ映像の入手などを行い、日本での状況や家庭の内情については日本領事館の協力を仰いだ。3人の証言の矛盾点が続々と浮かび上がるなか、日本からの返答によりBさんが巨額の生命保険に加入していたことも確認された。

 真っ先に落ちたのは女性通訳だ。息子Aとの恋愛関係および、上海での同棲生活を示す証拠などを突き付けられ、5月1日深夜には事件に巻き込まれた経緯を供述した。一方、息子Aから事情を聴いた捜査官は、彼の外耳についたほんの小さな血痕に気づき、捜査本部に提出した。検査の結果、その血痕はBさんのものだった。

 捜査結果と女性通訳の供述を前にした息子Aも完落ちし、同棲していた家屋からは犯行に使われたハンマーや衣類などが押収された。前後して妻Cも犯行を認め、3人は1日朝から勾留された。そして容疑を固めるための捜査が続けられ、15日の逮捕に至る。

 特別捜査班のスピード編成と徹底捜査の背景には、貿易摩擦により冷え込んでいた日中関係があったとされる。両国世論への配慮や、事件が陰謀論に悪用されることへの懸念などもあって、当時の上海市公安局は一気呵成の解決を目指したのだった。

デイリー新潮編集部

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