「海を憎んだ訳じゃない」と歌う復興ソングが放送NGに 大船渡出身・大沢桃子を救った故郷との縁

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後がない状況で出した「南部恋唄」がヒット

 背水の陣で出したシングルが2005年の「南部恋唄」だ。

「これが最後と考え、上京してすぐ書いた『南部恋唄』に曲をつけました。たまたまですが、NHKの『歌謡コンサート』で新人を2週にわたって紹介する枠があり、『南部恋唄』を歌ったら翌週に4桁の注文が来ました。目の前にいるお客さんじゃなく、画面の向こうのお客さんが拍手を送ってくれた手応えを初めて感じました」

 ゲストで訪れたあるカラオケ大会の会場では、「『南部恋唄』を作ったなかむら椿って誰だろうね」と話す年配男性たちの会話を聞いた。当時はなかむら椿が大沢自身と明かしていなかった。

「誰が作ったものであれ、届くものはちゃんと届く。手探りでも一生懸命やれば届くんだなと感じました」

恩師・浅香光代のこと、内館牧子とのつながり

 芸名をつけてくれた浅香光代は、「大沢悠里のゆうゆうワイド」の大沢悠里から芸名をつけたという。親戚を通じた縁はあったが、紹介してくれたのは寺内だった。

「ちょうど(野村沙知代さんとの)『ミッチー・サッチー騒動』の最中だったので、怖い人かなと思っていたんですが、とても優しくて、その日に芸名をつけてくださいました」

 浅香の舞台に白塗りをして出演したこともある。観に来ていた脚本家の内館牧子は当時の大沢の最新曲「風の丘」を聴き、「私の若い頃の感性に似ているわ」とメッセージを残してくれた。父が岩手、母が秋田出身の内館と通底する感性があったのかもしれない。

地元とのつながりを大切に

 今も地元・岩手県大船渡市とのつながりを大切にし、市から「ふるさと大使」に任命されている。忘れられないのが、2011年3月11日の東日本大震災だ。

「翌年2月に『恋し浜』という曲を出しました。三陸鉄道リアス線の駅名です。街に瓦礫が残る中、三陸鉄道の皆さんにご協力いただき、ミュージックビデオを撮影しました。地元の方の言葉で印象的だったのが『海が悪いわけじゃない。海の街は海で再生していく』という言葉。だから歌詞に『海を憎んだ訳じゃないから』と書きました。ところが当時はこの歌詞が引っ掛かるからテレビでは歌えないと言われてしまいました」

 楽曲に込めた思いとは別に、「海」そして「憎む」といった言葉が、震災の被害を想起させるものとしてセンシティブな扱いを受けたのだった。

「でも『NHKのど自慢』で『この歌で被災地にエールを送ります』と『恋し浜』を歌った素人のかたがチャンピオンになった後、私もテレビで歌えるようになりました。故郷に心を結んでもらった気がしました」

 寺内企画卒業後に始めた地元の福祉施設でのコンサートもライフワークとなり、まもなく通算400回。自らの名前も言えない高齢者が、ある曲で不意に立ち上がって歌う姿を何度も見てきて、歌の力を改めて感じている。

「2021年の『命の道』という曲に『てんでんこ』という歌詞を入れました。命てんでんこ(命は各自で守る)のように使いますが、歌を通して災害時に一人ひとりがどう行動するかを考えてもらいたいんです。合唱バージョンを作り、母校の大船渡高校の在校生たちと歌ってCDにしました。英語バージョンも制作したほか、合唱用の楽譜も配布していて、神戸の合唱団が中国語バージョンを歌ったり、埼玉県春日部市のダンスチームの子供らがダンスバージョンを踊ってくれたりしています」

 歌の力を改めて実感することが多い。最新曲の「苺」も含め、今後も歌の力を信じて歌い続けていく。

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 第1回【“エレキの神様” に見いだされた演歌歌手・大沢桃子 「歌手になりたい」少女が東京で掴んだチャンスと運命の出会い】では、拍手をもらう喜びを知って歌手を目指した幼少時代からのエピソードを語っている。

デイリー新潮編集部

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