“エレキの神様” に見いだされた演歌歌手・大沢桃子 「歌手になりたい」少女が東京で掴んだチャンスと運命の出会い
“エレキの神様”に見いだされた演歌歌手がいる。大沢桃子だ。デビューを夢見てオーディションに挑んでは破れる苦渋の日々を経て、“神様”のもとを訪ねた。かけられた言葉は「面白い!採用!」。そして大沢の歌手人生は回り始めた。
(全2回の第1回)
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【写真6枚】“エレキの神様”に見いだされ、故郷とともに歩んだ大沢桃子
人前で歌うのは恥ずかしかったのにのど自慢大会に出場
保育園に通っていた頃から、華やかなステージで歌うアイドルに憧れていた。中でも松田聖子が好きだったという。
「周りの子がWinkとかに夢中になっていた頃、私は割と大人の人が好きでした。アイドルに憧れていたにしては人見知りで、家の中だけで歌っていました。家の物置から階段を出して、そこを降りながら歌まねをしたりとか、こっそり母の洋服ダンスを開けて衣装みたいにして着飾り、口紅を勝手に使いながら、妹と歌合戦ごっこをしていましたね」
その“特訓”が奏功したか、小学校低学年のときに近くの公民館で開かれたのど自慢大会に、賞品につられて出場。初めて人前で歌う経験をした。
「聖子さんの『秘密の花園』を歌って、賞品の塗り絵セットをもらえました。親しい友達もみんな参加していたので人前でも歌えたんでしょうね。緊張したのかはよく覚えてないんですが、終わった後の拍手が異常に嬉しかったんですよ」
ステージに上がる喜びの初体験だった。
拍手をもらう喜びが続き、「やっぱり歌手になりたい」
のど自慢大会で受けた拍手の喜びから、小学校の友人らと5人組のアイドルグループを作ったが自然消滅。ならばと学校のスクールバンドに入り、トランペットを担当し、福祉施設への慰問演奏で拍手をもらう喜びに再び浸ることができた。中学生になるとバスケットボール部に入るも、合唱コンクールを目指すようになり、2年時の文化祭では弾いたこともないのに、ピアノ伴奏をすることになった。
「ただでさえ難しいのに、何日か前に(バスケットボールで)突き指をしてふがいない出来で。いまだにトラウマです。でもみんなが何とかちゃんと合わせてくれて、やっぱり拍手をもらえて嬉しかった。その瞬間、お互いに笑顔になれるような気がしたんです」
歌手としてステージに立ち、拍手をもらうことへの思いは募ったが、故郷の岩手県大船渡市にとどまっていては道がないとも感じていた。
「大船渡にいたら歌手にはなれない、東京に行ったら何とかなるかもしれないと感じていました。安易ですけど東京は夢がつかめる場所みたいに思っていました。故郷を出るのは親不孝かもしれないけれど、歌手になれたらお母さんも喜んでくれるかなとも考えて」
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