アリに敗れて人生が激変 聖職者になった「ジョージ・フォアマン」を再びリングに立たせた“母の言葉”(小林信也)

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 ジョージ・フォアマンは1973年1月、WBA・WBCボクシング世界ヘビー級統一王者ジョー・フレージャーに挑戦した。フレージャーはモハメド・アリに勝ち、史上最強とうたわれていた。その猛者からフォアマンは1R(ラウンド)に3度、2Rにも3度ダウンを奪い、TKO勝ちする。フォアマンのパンチ力は見る者に戦慄を与えた。人々は〈キングストンの惨劇〉の名でフォアマンvs.フレージャー戦を記憶している。

「象をも倒す」と形容されたフォアマンは、獰猛なファイターの迫力をまとっていた。ホセ・ローマン(プエルトリコ)との初防衛戦の会場は日本武道館。連日報道され、高校2年だった私も、その一戦を見た。実際にはさほど体格差はないが、イメージの中ではフォアマンは相手より二回りも大きかった。

 試合開始まもなく、右フック、左フックでダウンを奪う。さらに右フックで2度目のダウン。最後は右アッパーでローマンをキャンバスに沈めた。1R2分ちょうどでのKO劇。

(こんな強いボクサーがほかにいるはずがない)

 震撼(しんかん)したのは私だけではなかっただろう。

 2度目の防衛戦では、アリのアゴを砕いた男として名を上げたケン・ノートンを2R2分で倒した。これで40戦無敗(37KO)。

 3人目の挑戦者としてアリが選ばれた時、それは無謀な挑戦、アリの栄光に泥を塗る暴挙になるだろうと案じたファンが大半だった。巨象フォアマンの前では、アリはもはや過去の人に見えた。すでに32歳、そこまでの3試合、勝つには勝ったがいずれも判定。多くのファンが衰えを認識していた。

 ところが、アリは奇跡を起こした。ロープを背負ってガードを固め、フォアマンの体力を奪うだけ奪った後、わずかな隙を突いて攻勢に転じ、フォアマンを見事なワンツー・コンビネーションでマットに沈めた。フォアマンが前のめりにふらついて倒れる光景がいまも脳裏によみがえる。それは、信じられない出来事だった。

「神の声を聞いた」

 フォアマンが後年、試合を冷静に語っている。

「私はKOしようと彼にパンチを見舞った。しかし彼は倒れなかった」

 長丁場を戦う準備をしていなかったフォアマンは6Rまでで体力を消耗し、7Rに入ると、アリに平然と自分のパンチを吸収されて自信を失った。そして8RにあのKO劇が起こる。

「男としても、子どもに対してもあらゆる威厳を失ってしまった。アリは私を殴りつけタイトルを奪っただけでなく、私の内面のすべてを奪い去ってしまった」

 アリに敗れ、1年以上休養した後、リングに戻った。フォアマンはアリとの再戦を熱望していた。復帰2戦目にフレージャーを5R、TKOで倒すなどして5連勝。次の試合に勝てばアリとの再戦が濃厚と言われたジミー・ヤング戦でフォアマンの人生は大きく軌道を変える。

 格下のヤングに判定負けを喫した試合直後、控室で昏倒し、フォアマンは「神の声を聞いた」と語っている。それまで宗教を信じていなかった彼が突如引退を決意し、聖職に身を投じたのだ。獰猛なファイターの意外な転身だった。

 街頭で説教を続け、次第に病院や刑務所から依頼が来るようになった。やがて正式に聖職者になる儀式を受け、青少年の更生施設としてジョージ・フォアマン・ユースセンターを開いた。

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