アリに敗れて人生が激変 聖職者になった「ジョージ・フォアマン」を再びリングに立たせた“母の言葉”(小林信也)

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38歳でのカムバック

 それから10年、二度と戻らないと決めていたリングにフォアマンが復帰したのは「資金難」のためだった。ユースセンターの継続が難しくなった彼が資金を得る方法は、リングに戻る以外になかった。

 体重は全盛期より45キロも増えていた、と自伝に記している。年齢は38歳になっていた。あらゆる意味で難しい要素しかなかった。いくらあのフォアマンでも、カムバックは容易ではないだろうと周囲は懐疑的だった。さらに、彼にとって最も厳しい十字架が心の内にのしかかっていた。

 聖職者として生きるフォアマンにとって、他人を殴ることは神に背く行為だ。スパーリングでも相手を打てずディフェンスの練習ばかりしていた。信仰との矛盾を心の中でどう整理すればよいのか。

 これを克服できたのは母親のおかげだと5年前、時事通信の取材で語っている。

〈「スパーリングのことを耳にした母に「あなたにボクシングをやってほしいとは思わない。だけど、やるのであれば相手を殴り返しなさい。分かった? 殴り返しなさい」と言われたんだ。私は「分かったよ、ママ」と答えた」〉

 87年3月、スティーブ・ゾウスキーを4回TKOで破って以来4年間で24連勝(うち23KO)を重ねたフォアマンは、世界王者イベンダー・ホリフィールドへの挑戦にまでこぎ着ける。残念ながら判定で敗れたが、94年11月にはマイケル・モーラーを10回KOで倒し、45歳にしてWBA・IBF世界王者に返り咲いた。この間、「ボクシングはアルバイトだ」と言い、聖職者としての活動は熱心に続けていた。フォアマンは3月21日、天に召された。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年4月17日号掲載

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