【べらぼう】“毒手袋”でお世継ぎ死亡、白眉毛「松平武元」も…誰の仕業? 歴史はどう伝えているか

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将軍の世継ぎ急死をめぐるミステリー

 10代将軍徳川家治(眞島秀和)の嫡男、家基(奥智哉)が急死した。安永8年(1779)2月21日、鷹狩に出かけた家基は、自分が放った鷹がねらった雉を取り逃がしたのが悔しくて、いつもの癖で右手の親指の爪を噛んだ。もっとも、手袋をしていたので噛んだのはその上からだが、直後に倒れて帰らぬ人となった。NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の第15回「死を呼ぶ手袋」(4月13日放送)。

 このような場合の通例として「心臓に急病」とされたが、父の家治は、壮健そのものだった家基の急死に納得がいかない。老中の松平武元(石坂浩二)と田沼意次(渡辺謙)に再調査を命じた。武元は「毒を盛った者が明らかになったといたしましても、裏を返せば、毒を盛られる不覚を将軍家が許したこととなります。ご威信を考えますれば」と進言したが、家治はそれでも真実が知りたいという。

 家基が田沼に批判的だったことから、田沼が毒を盛ったと噂が立っていたが、とにかく調査をはじめた。しかし、毒を盛る隙が見つからない。田沼はいった。「西の丸では、毒にはとくに気を配っておったそうでな、水一滴、匙が出すお薬までもすべて、御毒見役が入っておったそうじゃ。(狩場での茶まで)すべて毒見役が入っておったそうじゃ」。

 その後、家基は右手の爪を噛む癖があるので、だれかが手袋の指先に毒を盛ったのではないか、という話に。じつはその手袋は、大奥総取締の高岳(冨永愛)に頼まれ、田沼が作らせていたから、田沼はもっとも疑われやすい位置にいた。しかし、田沼の「天敵」と目されているはずの松平武元は、毒を盛ったのは、疑われている田沼以外の人物だと確信。田沼とのあいだで、次の世継ぎの座をねらう者がその犯人であろうから、あえて調査の幕を引いて油断を誘おう、ということになった。

 ところが、今度は武元が急死する。その場面には、一橋徳川家2代当主の一橋治済(生田斗真)が人形を操る映像が重ねられ、高岳と思しきシルエットが武元に毒を盛り、くだんの手袋を持ち出した。家基を毒殺したのは治済で、足がつかないように武元も殺めた、と仄めかしているようだった。

 では、このミステリーは、史実としてはどのくらい解明していることなのだろうか。

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