【べらぼう】“毒手袋”でお世継ぎ死亡、白眉毛「松平武元」も…誰の仕業? 歴史はどう伝えているか

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歴史の流れや当時の考え方を歪曲していない

 こうしてみると、いまさら検証する手立てはまったくないものの、一橋治済が嫡男を将軍にするために策を弄した蓋然性は低くないように思えてくる。家基の死に関し、ドラマで描かれたようにだれかの手がおよんだことがあったのか。それはわからないが、『べらぼう』ではその点について、妥当な弁明がなされていた。

 先述のように、第15回で武元は「毒を盛った者が明らかになったといたしましても、裏を返せば、毒を盛られる不覚を将軍家が許したこととなります」と、家治に進言したが、これが当時の考え方である。したがって、なにかが判明したり、きわめて疑わしい対象が浮上したりしても、それが記録には残りにくかった。

 また、田沼には「西の丸では、毒にはとくに気を配っておったそうでな、水一滴、匙が出すお薬までもすべて、御毒見役が入っておったそうじゃ」といわせていた。事実、当時は将軍や将軍の世継ぎの毒殺を防ぐために、毒見役がもうけられ、大名家でも近習が毒見をすることが多かった。それは、毒を盛られかねない状況の裏返しでもあった。

 したがって、『べらぼう』で描かれたミステリーは、史実に忠実とはいいがたいが、私は違和感を覚えない。あえて指摘するなら、仮に毒を盛るとして、家基のようにすぐに死にいたるように導くことは可能だったのか、とは思う。ヒ素のように少しずつ効き目を現す毒が選ばれるのが普通で、家基も武元も一発で仕留めるなどということが、はたして可能だったのか。

 しかし、家基の急死がなにかの急性疾患で、そこに人為が介在してはいなかったとしても、一橋治済だけがほくそ笑む状況が生まれたことはたしかである。原因不明の経緯をこのようなフィクションで解決しても、歴史の流れや当時の考え方を歪曲していないので、許されると思う。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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