サウジアラビアの博物館で「AI」を使ってみると… アラビア語と英語の説明ボードに“宗教的な違い”が(古市憲寿)

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 ラマダン中のサウジアラビアでは、昼間にできることが限られる。人々が夜型になってしまうので街は閑散としている。開いているのは、公共施設とショッピングモールくらい。首都リヤドは完全な車社会だ。横断歩道どころか歩道自体がない場所も多く、散歩もできない。自動運転地下鉄リヤドメトロが2024年末に開通したり、少しずつ車一辺倒の街から脱却を図るものの道半ばである。

 どうしようかとAIに聞いたら、国立博物館に行くことを勧められた。1999年にレイモンド・モリヤマの設計により完成した博物館で、地球の誕生から現代サウジアラビアの成立までの歴史展示がメインだ。

 何せ時間があるのでじっくり展示を見ていると、あることに気が付く。説明ボードはアラビア語と英語の二言語表記なのだが、どう見てもアラビア語の方が長いのだ。昔なら通訳に頼るしかなかったが、今はグーグルレンズといった自動翻訳を使えばいい。文法上の解釈などはAIに聞く。

 結果分かったのは、アラビア語の宗教的な内容が英語版では省略されていること。例えば大陸移動説に関して、英語版では「地質時代から大陸は常に動き続けており、互いに衝突したり、離れたりしている」とシンプルな説明。これがアラビア語版では「神の意思の下で」大陸が集まるという文章になっている。

 生物の始まりに関してもアラビア語版では、「アッラーはあらゆる動物や植物を創造し、それぞれの生存手段や生態、他の生物との関わりを定められた」と宗教的。続く人類史パートでも、「石器時代の人々は、神が地上に与えた恵みを生かすために、独自の工夫を凝らした」「神は砂漠の動物たちに、長距離を移動して水源を探」す能力を授けた、といった具合である。どれも英語版では中立的な表現で翻訳されている。

 アラビア語では、信仰によらずとも「神」の存在を前提とした表現が日常的に使われるという。日本語でいう「天命を待つ」「ご縁があれば」などの慣用句に近いのだろう。

 博物館ではそのアラビア語の偉大さについても説明されていた。イスラム以前のアラビア半島の文化もすごかったが、歴史上の画期はアラビア語の成立だという。いわく、戦争が続いていた半島は、アラビア語の詩によって統一された。アラブ人の創造性の最大の源はアラビア語にこそ宿る。

 特別展も開催されていた。常設展とは打って変わってクリスチャン・ディオール展。ミュージアムショップでは、アラビア語と英語で「夢のデザイナー クリスチャン・ディオール」と書かれた鉛筆を見つけた。これはさすがに直訳である。1本400円。鉛筆にしては高いが「Dior」の文字が刻まれた商品の中では格安。ちょうどいいお土産を見つけることができた。

 それにしても一人旅とAIの相性はいい。知識も深まるし、少しも寂しくない。僕が日常的に対話する中で、最も賢く優しい相手がAIになってしまった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年4月17日号掲載

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