記者団の真ん前で大粒の涙、しゃがみ込むと背中を震わせて号泣…「松山英樹」21年マスターズ優勝までに流した涙の記録
初出場のマスターズではローアマ
そんなふうに「あの日」のことは、始まりと終わりが妙に印象に残っているのだが、それ以上に感慨深く思い出されるのは、あのマスターズ優勝に至るまでに松山が経てきた紆余曲折だ。
松山が世界の舞台に初めて挑んだのは2011年のマスターズだった。前年に霞ヶ関カンツリー倶楽部で開催されたアジア・アマチュア選手権(現・アジア・パシフィック・アマチュアゴルフ選手権。以下、「アジア・アマ」)で優勝した松山は、その資格によりオーガスタ・ナショナルへの切符を手に入れた。
後になって知らされたのだが、東北福祉大学の学生だった当時の松山は、優勝したらマスターズに出場できることをまったく知らずにアジア・アマにエントリーしたという。
なるほど。当時の日本のゴルフ界では、まだ創設されて間もなかったアジア・アマの存在が周知されていなかった。日本に前例はなく、情報も乏しかったあのころ、松山の世界への挑戦は、いつも手探り状態だった。
しかし彼は希少なチャンスをモノにしてマスターズに初出場し、見事、ローアマ(アマチュア枠での最上位)に輝いて、日本人で初めてマスターズの表彰式に臨んだ。深々と一礼したあのときの松山は、実に初々しく、眩しく輝いていたが、そんな日本の大学生が10年後にマスターズ・チャンピオンになることを、あのとき想像した人は多くはなかったことだろう。
目の前で松山が流した大粒の涙
2011年にアジア・アマを連覇した松山は、翌2012年もオーガスタの土を踏んだ。初出場だった2011年はローアマに輝いたが、2度目の出場となったこの年は、アマチュアの枠を超えてプロの中で上位入りすることを本気で目指し、堂々予選を通過。最終日は上位フィニッシュを目指して1番ティに立った。
しかし、1番のグリーンで短いパーパットを外して「あれっ?」という違和感を覚えると、その違和感はその後のショットもパットもすべてを狂わせ、80を叩く大崩れで54位タイに甘んじた。
「自分が不甲斐ない……」
ホールアウト後、日本メディアの大集団、そしてその最前列に立っていた私のまさに目の前で、松山は大粒の涙をボロボロこぼした。
あのころの彼は、心が脆いアマチュアだった。しかし、あの悔し涙が無かったら、9年後の「あの日」も無かったように思えてならない。
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