「妻を壊してしまった」47歳夫の後悔 母になっていく姿に寂しさ感じて…“魂の殺人”の始まりは

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すれ違う新婚生活

 結局、文菜さんが根負けする形で結婚した。彼女は結婚後も夜の仕事をやめようとしなかった。彼もやめてほしいとは言わなかった。どうして言わなかったのか、彼は覚えていないと言った。独占したかったはずなのに、それが愛と信じたはずなのに、いざとなったら彼女を独占することは無理だと悟ったのだろうか。

「どうしてかなあ。新婚旅行から帰ってきた2日後くらいに、彼女が朝、『私、今日から仕事に行くね』と言ったんですよ。あ、何の仕事と思わず言ったら『夜の仕事』って。え、そうなんだ……と、たぶん言葉を失ったんだと思う。そしてそれが日常になっていった」

 新婚生活は出だしからすれ違っていた。そして彼女はときどき帰宅が深夜になったり未明になったりした。このままでいいのかと悩んだが、何か踏み込んだことを言って嫌われるのも嫌だった。

「ふたりとも週末は休みだったから、一緒に出かけたり家でのんびりしたりしていました。週末だけは幸せだった。彼女も僕を好きでいてくれると実感できた。そうこうしているうちに、そうだ、いっそ早く子どもを作ってしまえばいいんだ、さすがに彼女も仕事を辞めるだろうと思いついて」

「これが幸せというものだね」

 寿明さんのもくろみ通りに29歳のとき息子が生まれた。文菜さんは妊娠がわかったときに仕事を辞めたが、若干、不満そうだったのを彼は今も覚えている。子どもはあと2年後くらいでよかったのにとつぶやいていた。

「弟と妹の大学卒業があと1年だったんですよ。だから彼女は学費を稼ぎたかったんだと思う。僕には言わなかったけど。だから学費、出そうかと彼女に言ったんです。そうしたら『ううん、なんとかなる』って。あとから聞いたら、本当は妹を留学させようと思っていたようです。彼女の背後にはいつも親や弟妹がいる。それを僕はあまり考えていなかった」

 夫婦は息子をかわいがった。文菜さんは「完璧な」母だった。寿明さんが帰宅して子どものめんどうを見ようと思っても、ほとんどやることはなかった。深夜にミルクをあげるためにがんばって起きていても寝落ちしてしまい、妻は息子の泣き声がする前にすでに起きているような状態だった。

「かわいくてかわいくてたまらないという顔で、文菜は赤ちゃんを見つめる。僕はそんな彼女を見るのが幸せだった」

 2年後には娘が産まれた。文菜さんが愚痴をこぼしたことはない。上の子が3歳くらいになったとき、妻が息子の手を引き、彼が娘を抱いて散歩していた日のことを彼は忘れたことがないという。

「妻がしみじみ言ったんですよ。これが幸せというものだねって。これからもよろしくねって。僕は涙目で妻を見つめて頷きました」

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