「今の中国は毛沢東時代と変わらない」 「ダライ・ラマ」最後の自伝で「習近平」を猛批判 「父親とは贈り物をやり取りしたが、息子は抑圧的」

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輪廻転生

 ダライ・ラマは今年7月6日の90歳の誕生日を機に、高僧や側近らとダライ・ラマ制度を存続するかどうかを協議することになる。ダライ・ラマ側が懸念しているのは、中国共産党指導部が中国内で勝手にダライ・ラマの後継者を指名し、既成事実化することだ。

 チベット仏教では16世紀以来、ダライ・ラマや実質的にナンバー2のパンチェン・ラマら高僧の後継者については、その死後に輪廻転生して、この世に生まれた者が認定されるとしている。先代の死後に誕生した幼児の中からさまざまなヒントを頼りに生まれ変わりの後継者を探し出してきた。

 筆者が1989年10月に初めてダライ・ラマ14世にインタビューした際、自身のことについて、後継者を探すラサの僧侶一行が、現在の中国青海省にあった生家までやって来たと話していた。彼らは幼児だったダライ・ラマに亡くなった先代の遺品を偽物と混ぜて見せた。どれが本物かを見分けさせるためだ。

「私は間違わずに13世の所持品を選びました。あとで母から聞いたのですが、調査団が家に来たとき、私はとても喜んで『皆さんは(チベットのラサにある)セラ寺のお坊さんですね』と言ったそうです。私が2歳か3歳の時です」

 1939年6月、4歳だったダライ・ラマは2頭のラバの背にくくりつけられた輿に乗ってラサへ向かった。到着まで3カ月と13日かかり、その後、歴代ダライ・ラマの居住地であるチベットのポタラ宮殿で16歳まで過ごした。

少年を拘束

 これは現在のダライ・ラマが後継者として認定された時のエピソードだが、今回の場合は、そうすんなりと後継者が決まるとは考えられない。

 なぜならば、1989年1月28日、パンチェン・ラマ10世が急死したことで、ダライ・ラマとチベット亡命政府はパンチェン・ラマ10世の後継者である輪廻転生者を探し、1995年5月14日、ゲンドゥン・チューキ・ニマという6歳の男児を認定、公式発表した。しかし、その3日後、ニマ少年は少年の両親ともども、忽然と姿を消した。

 その後、中国政府は新たな転生者を探し出し、6歳のギェンツェン・ノルブ少年を中華人民共和国国務院認可のパンチェン・ラマ11世として即位させた。中国政府はニマ少年を拘束している事実を認め、2020年5月19日、かつて拘束した男性が大学を卒業し、現在は普通の生活を送っていることを発表したものの、その男性の写真や現在の生活状況などは一切明らかにしていない。

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