“自分の父親の愛人の息子を手伝う伯母が母代わり”…「妙な育ち」の40歳男性が、産みの親との再会に絶句したワケ
自分にはなにも残っていない
それを「不遇」「不幸」と感じているかどうか、彼自身にもわからないという。とにかく子どものころから楽しいことなどほとんどなかった。父との時間は振り返れば、しみじみと大事だったような気がするが、「楽しい」とは結びつかない。彼にとって「楽しい」のは、高校時代に友だちとバスケットボールをしていた記憶くらいだ。楽しさは一瞬のもの。すべてが淡く儚く消えていき、自分にはなにも残っていないと痛感した。
父親が亡くなってから、残してくれた少しの貯金を学費として料理学校で学んだ。身を立てなければいけないから必死だった。アルバイトをしながら3年間通って、彼はとあるレストランチェーンに就職した。
「僕は料理の才能があるわけではないから、料理人として働ければそれでよかった。独立して自分の店をもちたいという欲求はありませんでした」
つつがなく暮らしていければそれでいい。どうせ結婚なんてできないだろうし、する気もなかった。
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人とは違う幼少期を送った勇斗さん。記事後編では「縁」を感じた女性との出会いと、彼を待ち受けていた彼女の真実について紹介している。
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