“自分の父親の愛人の息子を手伝う伯母が母代わり”…「妙な育ち」の40歳男性が、産みの親との再会に絶句したワケ
母との再会
大人たちの口さがない噂が飛び交う中で、勇斗さんは喪主をつとめた。父の境遇が境遇だったために、親戚といえる人もほとんどいなかった。父の母は、父を産んでから実家を勘当され、ほとんど誰とも交流がなかったようだ。
「お通夜に来てくれたのは父の仕事関係者と、僕の友だちくらいでしたね」
勇斗さんの友人たちも、少し雰囲気が異様なお通夜にそそくさと帰っていった。父の仕事関係者たちも目礼だけして去っていった。
「誰もいなくなって夜も更けたころ、ひとりの女性が入ってきたんです。僕には、すぐにそれが母だとわかりました。誰が知らせたのかわからないけど、母は静かに入ってきて僕を見つめて泣いていました」
まさか父のお通夜で生き別れていた母に会えるとは思っていなかった。不思議と恨みつらみはわいてこない。「僕を産んだ人が現れた」という感覚だった。母はじっと勇斗さんを見つめ、「ごめんね」と言った。
母の「お願い」に…
謝られて初めて、母よりむしろ父に思いがいった。不器用だったけど、父は自分を心配してくれた。いきなり命が尽きるその瞬間、父はなにを思っていたのだろう。
「焼香をすませた母が、僕におずおずと『悪いけどお金貸してくれない?』と言いながら、僕が手元に置いていた香典に手を伸ばしたんですよ。なにを言っているのかわからなかった。弔問客も多くはなかったから、香典なんてたいした額じゃないけど、19年近く前に別れた夫の通夜に来て、息子から金を借りようってどういう人なのか……。僕は静かに『ふざけるな』と言いました。『あんたは私が産んだ子なのよ』と小声ながら威圧的に言う母に、『母親だとは思ってない』と彼は言い返した。『お金貸してよ』と騒ぐ母に『警察呼ぶぞ、とっとと消えろ』と言ってしまいました。心のどこかで、父が母を追い出したのではないかとずっと思っていたけど、そうではなかったと確信した」
彼は顔を歪めながらそう言った。初めて会った「自称母親」に、いきなりお金貸してよと言われたら、呆けたように笑い出してしまうかもしれない。あるいは、この人どうしちゃったんだろうとあきれて冷たい目で見るしかないかもしれない。
「僕、そのとき1万円札を母に投げたんです。拾って持っていけよと。母は泣きながら拾って去っていきました。母もつらい人生を送っていたのだろうと思ったのは、それから10年近くたってから。人づてに母が亡くなったと聞いたときです」
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