小出監督に声をかけられてから11年 “気持ちに火がつかなかった”「鈴木博美」を心変わりさせた出来事とは(小林信也)
「遊ばせておいた」
たった一度の走りを見て、小出は博美を熱心に誘った。
明らかに小出は博美の格別な才能にほれ込んでいた。
ところが市船に入っても、博美は変わらなかった。本気になれない。小出はしばしば「博美はずっと遊ばせておいた」と語っていた。
「故障や貧血もあって、厳しい練習に慣れるまですごく時間がかかりました」
それでも2年生の全国女子駅伝で区間賞、3年生では3000メートルでインターハイ2位、国体では優勝した。
卒業後、リクルートで実業団選手になってからも、
「気持ちに火がつかなかった。高校時代から続く厳しい練習への拒否反応が先にあって、心がついていかなかった……」
変わり始めたのは、チームメイトの活躍を見てからだ。1991年東京世界陸上女子1万メートルにリクルートの後輩・五十嵐美紀が出場、「大観衆の国立競技場で走る姿に感動し、同じ練習ができれば世界大会に出られるんじゃないかと考えた」
リクルートの監督になっていた小出は博美にマラソンをやれとは言わなかった。
「俺がお前の才能を持っていたら、うれしくてたくさん練習してマラソンで金メダルを二つ三つ狙ったと思うよ」
「俺くらいの年齢になったら、あの頃は良かったと思う時が必ず来る。その時に後悔しないよう、今が一番良い時なんだから、今しかできないことをやれ」
いろんな言葉かけをしてもらったが、博美は、
「1万メートルで日本記録を目指したい」
と言ってマラソン転向を考えようとしなかった。
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