3年間の単身赴任から戻ると「わが家」に違和感… 51歳男性が「やめろ」と言った長男の趣味
「男らしく」「女らしく」
単身赴任は2年のはずが1年延びた。長男の中学生時代にはまるまるいなかったことになる。とはいえ電話やメールでは、子どもたちと1対1で話すことも多かったし、夫婦の間も特に変化はなかった。ただ、単身赴任から戻ったとき、少しだけ家庭内の雰囲気が変わったような気がした。
「妻にそう言ったら、そりゃ長男は今度高校だし、次男も中2、娘は小学校4年生になるのだから、もうなかなか親の出る幕はないわよと言われました。キャッチボールを楽しんでいた長男は理系のめがね男子になっていたし、次男は野球よりサッカーが好きになっていた。娘はキックボクシングを始めたとか。女の子なのに顔を打たれたりしたらどうするんだと言うと、娘は『パパ、古い』と。女の子だから、男の子だからと親はつい言ってしまいますが、そういう表現を子どもたちには受け入れてもらえませんでしたね」
好きなように生きていくのがいちばんだと口では言いながら、自分の子となるとどうしても「男は男らしく」「女は女らしく」と言いたくなってしまうのだろう。だが、そういう発言は妻にも「ダメ」と却下されたらしい。極端なことを言っているわけではない、男は男らしく堂々としなさい、女は女らしく愛想笑いのひとつも浮かべなさい、そのほうが世渡りがうまくいくというような内容なんだけどと、祐司さんは苦笑いした。
「明るかった長男」が…
少しギクシャクした雰囲気はあったが、それでも家庭に大きな波風が立つことはなかった。というのも、その後、祐司さんは単身赴任はなかったものの、出張が多かったからだ。多忙な時期は月の半分近く出張していたこともある。
「外回り要員になってしまったんですよね。地方の営業所の統合もあれば、人口が増えた場所ではもっと大きく仕事を展開していく場合もあって、あちこち行っているといろいろなことが見えてくる。だから外回り要員として重宝されたんだと思います」
それでも2年ほどでようやく本社に落ち着くことができた。長男は高校からの推薦ですんなり大学入学が決まった。“そこそこの私立大学”だったが、果たして本人が本当にそれでいいのかと祐司さんは思ったという。
「長男は獣医になりたいと言っていたんですよ。でも進学が決まったのは物理関係の学部。どうやら獣医学部には推薦してもらえなかったようです。だったら一般受験してみればいいのに、長男は『受験は大変だからいい』と。自分の力を試してみろよと何度も言ったけど、彼は失敗したら嫌だからと。チャレンジもしないであきらめるのかと迫ったんですが、推薦を蹴ったら後輩にも迷惑がかかるからって。いや、浪人したっていいじゃないかと言いましたが、彼は気弱そうに首を振りました」
自分の知っている明るい長男とは少し変わっていた。やはり子どもに細部まで関わりきれないのが父親なのかとがっくりしたが、妻の瑛美さんなら、長男の心の変遷がわかるはずだと考え、尋ねてみた。ところが答えは「あの子は変わってないわよ」だった。
「長男は昔から気が弱いところがある。というか優しすぎる。だから小学校時代、いじめられたこともあると。そんな話は聞いてないと言うと、すぐにやんだからあなたには言わなかったって。さらに中学に入ってからは反抗期もあったものの、高校生になると以前の優しさが目につくようになったと。でもあまり口数が多くないなと言うと、『好きなことならいくらでも話すわよ』って。長男の好きなことは何なのかというと、なんと手芸だったんですよ。これはかなりビックリしました。妻が手芸好きなので、最近はふたりでよく手芸をしているって。やめろ、そんなのと思わず言ってしまいました」
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