特攻に向かう飛行機がなく敗戦を迎え…38年後「小説 上杉鷹山」で脚光 「童門冬二さん」歴史小説に込めた思いとは
都政での反省を小説に
専業作家に転じ歴史小説を著すが、ドラマ仕立てが苦手。資料と現地取材を基に、地方振興の功労者を美化せずに描くようになった。鷹山の改革を取り上げたのは、都政での反省も込められていたという。
文芸評論家の縄田一男さんは言う。
「人物伝ではなく、過去の似かよった状況に置かれた人物の言動から、現代に生かせるものを見つけていた。取り巻く状況を具体的に書き、教訓じみた物語にすることはなかった」
スピーチライター時代同様の、短文をつなぐ明快な文章はほぼ口述筆記。講演は年間200回にも及んだ。
人生は“起承転々”
歴史小説だが、現代に置き換えて考える作風は一貫していた。リーダーや組織のあり方について問われると、“風度(ふうど)”という言葉を用いて、この人が言うことなら信頼してついて行こうと思わせる力が何より必要だ、と語った。
「グローバリズムが強調されても、日本には、“三方よし”(売り手よし、買い手よし、世間よし)という現代でも通じる経営理念がある、と動じない。目先の変化に揺らぎがちな時ほど、基本軸を参考にしては、との考えでした」(村田さん)
人生は起承転結ならぬ起承転々が持論。終活など全く必要ないと語り、90代半ばでも連載をかかえていた。
昨年1月13日、がんのため96歳で逝去。1年は公表を控えるようとの遺志だった。
歴史は知恵の宝庫で、学ぶことは尽きない、と人気におごらず実直に書き続けた。
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