「表にポリ公ようけおるな」…三菱銀行事件「梅川昭美」の大胆不敵な要求 捜査本部がどうしても避けたかった「ふたつの差し入れ」

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犯人狙撃への躊躇?

 この当時、「警察は手ぬるい。何をしている」「犯人はあれだけバンバン撃って、人を殺しているのだから、警察も銃を使えばいいのに」と思った人は多く、読んでいた新聞社や見ていたテレビ局に電話をかけ、「早く突入しろ」「なんで弱腰なんだ」などと意見を寄せた例もあった。

 日本警察が初めて犯人を狙撃(注・警察では『制圧』という)した事件は、昭和45年5月13日、定期旅客船「プリンス号」をシージャックした犯人(20)に対してだった(瀬戸内シージャック事件)。銃を使用して警察官への殺人未遂や強盗を繰り返し、最後は乗客・乗員44人を人質にとってシージャックを敢行。広島県警は大阪府警に設置されていたライフル部隊(狙撃班)に応援を要請し、一発で狙撃、約1時間半後、犯人は死亡した。

 事件後、一部の弁護士や学者が、狙撃による犯人の射殺は「裁判によらぬ死刑ではないか」と問題視し、狙撃した警察官を殺人罪で告訴した。広島地裁は請求を棄却するが、任務を遂行した警察官は精神的に追い詰められたという。

「この2年後、連合赤軍あさま山荘事件が起きます。この時も、山荘にたてこもった犯人はライフル銃などで周囲を取り囲んだ警察に発砲しました。シージャック事件が念頭にあったのかどうかは定かではありませんが、警察側は殉職者2名、負傷者26名を出したものの、最後まで犯人狙撃を選択することはなく、応援派遣されていた警視庁の狙撃班も威嚇のための銃撃に徹しました。三菱銀行事件でも、大阪府警の幹部たちにはシージャック事件が念頭にあったかもしれませんが、かなり早い段階で突入・制圧を考えていたのは、それだけ犯行内容が凄まじいものだったからでしょう」(元全国紙社会部記者)

 梅川は差し入れを要求する一方、逃げ遅れた妊婦や高齢者、子供が泣きわめく親子など、一部の人質を解放していた。中には梅川と同じ母子家庭を理由に解放された人質もいた。そうした解放人質からの事情聴取を進める中、差し入れは2階の特捜本部から1階にいる受け渡し役の行員に渡す。恐怖に縛られているだけに、その際に何らかの情報を得るのは難しかった。

 1月27日午前零時すぎ、梅川は人質の行員に「要求書」を書かせている。

〈現在、十一時半。店内状況、死者六名(注・実際は4人)。犯人の凶行依然衰えず。いつ死に目にあうか検討の余地なし。犯人の心理状態、分析不可能。(略)犯人の要求、携帯ラジオ、アリナミンA、カルシウム、人質の食事。室内の暖房、若干強い。追伸。犯人はけん銃を使用、極悪非道そのものである。警察は一切手出ししないよう、特にお願いします。でないと死者が増えます〉

 続けて、日本酒一升、洋酒、缶ビール二本などを要求。同午前1時すぎ、捜査本部はカップ麺とポットを差し入れたが、人質は誰も食べようとしない。続けてサンドイッチも差し入れるが同様だった。こらえきれない行員がロビーで用を足す。そのうち、1階のトイレを使用しても良いと梅川が許可を出し、トイレに来た行員に、潜んでいた捜査員が事情を聴くなど、地道な状況把握は続けられた。

 捜査本部にとって、酒とラジオは極力避けたい差し入れだった。酔って自暴自棄になったり、予想外の行動に出たりする可能性もある。また、ラジオはニュース番組を聞くことで現在の状況、とりわけ警察側の動きが筒抜けになってしまう。

「缶ビールを注文しているがまだ届かないので、早く頼みます。でないとまた殺される」(27日午前3時前、人質からの電話)

 5分後、缶ビールを1本、差し入れる。その後、梅川は何度もラジオを入れるよう要求する。

「捜査本部は何を考えとるんや。ラジオはどうなった。たった1台のラジオが都合がつかんはずあるか。甘く見たら皆殺しだぞ」(同5時すぎ)

「ラジオと酒を早よ入れろ。そうせんともう1人殺すぞ。表にポリ公ようけおるな。顔を出すと殺すぞ」(同6時)

 15分後、トランジスタラジオが差し入れられた。7時40分、ワンカップの酒を差し入れ。梅川は人質に毒味をさせたうえで、チビチビと飲んだ。

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