14歳・岩崎恭子を“金メダル”に導いた「意外な一言」とは?(小林信也)

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 1992年バルセロナ五輪、競泳女子200メートル平泳ぎ決勝は、希代のヒロインを誕生させた。

「いままで生きてた中で、いちばん幸せです」

 岩崎恭子、14歳。中学2年生で金メダルを取った少女の真剣な言葉に日本中があっけにとられた。

 午前中に行われた予選で岩崎は世界記録保持者アニタ・ノール(米)にわずか100分の1秒差の2位で決勝に進んだ。突然のシンデレラ登場に誰もが驚き、沸き立った。大会前はほとんど注目されていなかった。メダルを期待されていたのは4月の日本選手権で100メートル、200メートルとも優勝した粕谷恭子。岩崎は大会前の取材に「決勝に残れればいい方だと思います」と答えている。何しろ自己ベストは世界の14位でしかない。

「女子200メートル平泳ぎではずっと〈2分30秒の壁〉と言われていました。その壁を破ったのは日本では長崎宏子さんだけでした」

 岩崎もその壁は破れずにいた。ところが、五輪の予選でいきなり自己ベストを3秒30も更新した。2分30秒の壁どころか、9年間破られなかった長崎の日本記録2分29秒91を2秒以上も更新する2分27秒78で泳いだのだ。

 予選終盤は激しいトップ争いになった。序盤から大きなリードを保っていたノールを、後半になって徐々に追い上げ、肉薄したのがすぐ隣を泳ぐ岩崎だった。

「ゴールした直後、隣のアニタが顔色を変えてこっちを見たんです。パッと、こんな感じで」

 32年たっても変わらないあどけない表情で岩崎が再現してくれた。

「誰?って感じで私を見たんです(笑)」

 女王にとって想定外のライバル出現。さぞ意外で、そして突然の脅威だったに違いない。ノールの狼狽を見て、14歳の岩崎はまんざらでもなかった。それで満足したとは言わないが、

「すっかり浮かれていましたね」

 岩崎が笑いながら認めた。

「あのままだったら、きっと金メダルは取れなかったでしょう」

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