話題の漫画『ぼっち死の館』、78歳女性漫画家が語る“私の退屈しない、悲惨な人生” 最大の苦労は元週刊誌記者の夫

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英会話学校からイラストレーターへ

「作中にユーモアの要素を取り入れようとか、特に意識していることはないです。だいたい世の中や、自分の身の回りで起こることはどれも面白いと思うし、何かあっても深刻に考えない。そんな私の性格が作品に反映されているのではないでしょうか」

 東京生まれの齋藤さんは、両親の仕事の都合で幼少から高校卒業まで、静岡県富士宮市で育った。しかし、地元での暮らしは退屈だった。高校卒業時、「不幸せでもいいから、退屈しない人生を送りたい」と東京の短大に進み、卒業。

「英会話学校の求人広告に応募して、採用されました。そこで教材に使うイラストを描いていた人のお手伝いをしたんです。色塗りとか簡単な作業でした。絵に関しては、子どもの頃から嫌いではなく、それなりに描けた方だったので」

 イラスト担当の社員は漫画家志望だったが、「もう漫画家にはなれない」と夢を諦め、退職して故郷へ。代わりに齋藤さんがすべてを任されることになった。その後、出版社へ転職した男性の紹介で、単行本のカットを描くようになり、イラストレーターとしての仕事を本格化させた。

「占い師の浅野八郎さん(1931~2022)の手相術の本を手がけた縁で、仕事を紹介してもらいました。週に1回、色々な所へ取材に出かけて、それをイラストでルポする連載を8年間、サンケイスポーツでやったこともあります。でも、いい時は長くは続かなくて。自分で作品を持ち込むことはせず、依頼をこなしていただけなので、だんだん先細りになって生活にも影響が出始めたんです。それが40歳になる前のこと。困った末に考えたのが、漫画家なら稼げるかな? 私にも描けるんじゃないかって。今にして思えば、不遜な考えなんですけど」

『月刊漫画ガロ』はよく読んでいたそうが、描き方や時間の経過など、漫画の表現方法は他人の作品を読んで頭に入れ、昔の自分の記憶を掘り起こし「この辺がいいな」というところでストーリーを考案した。そして86年、ビッグコミック新人賞を受賞し、デビューとなる。

 高校卒業時に抱いた思い通り、「退屈しない」さらに「不幸せでもない」人生ですよね? そう聞くと、

「いいえ、そうではないんです。でも、だから人生って面白いんじゃないかと思うのです」

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