ホテル・ニュージャパン火災発生直後、ロビーで目撃した横井社長の意外な行動 警視庁鑑識課長の「呪われた48時間」

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早朝に「至急、至急」という無線が

 2月9日の朝、田宮が数時間の睡眠をとり、公舎を出て迎えの車に乗り込んだのは、通常より早い午前8時前だった。

 幡ヶ谷から高速4号線に乗り、霞が関ランプの近くまで来たとき、通信指令本部から「至急、至急」という無線が流れた。田宮が車を路肩に停めさせると、無線は続けて「警視庁から各局、羽田沖で日航機が墜落した模様」と緊迫した声で伝えた。

 見上げると、上空に警視庁のヘリコプターの機影が見える。ホテル・ニュージャパンの俯瞰撮影をするよう指示を出した鑑識課員が搭乗しているはずである。田宮は無線機で上空のヘリコプターに「羽田に急行して墜落した飛行機を撮影しろ」と命じた。

 それから指令本部に「鑑識20(鑑識課長のコールナンバー)から警視庁、これより羽田空港に急行する」と連絡、非常灯を点滅させ高速1号線で羽田に向かった。

風景は奇妙な静けさの中にあった

 羽田空港に着いて、車のままC滑走路に行くと、見たこともないような光景が広がっていた。滑走路の先の海上に、銀色の航空機が浮かんでいたのだ。機体が前の方で折れ、先端のコックピットが後部の客室にめり込んでいる。

 田宮が着いたとき、助かった乗客たちが、腰まで水につかりながら、じゃぶじゃぶと水をかき分けて岸に向かって歩いて来るところだった。空は晴れており、ちょうど引き潮の時間だった。墜落地点から滑走路までは、立って歩けるほどの水深しかなかったのだ。

 乗客たちは岸にたどり着くと、這い上がってへたり込み、肩で「はぁはぁ」と息をしていた。まだ救助車輛の多くは到着しておらず、風景は奇妙な静けさの中にあった。

 事故を目の当たりにした田宮の最初の印象は、“なんだ飛行機というのはワイヤーの塊なんだな”というものだった。ちぎれた機体の断面から、さまざまなワイヤーが飛び出し、糸のようにもつれていたからだ。

 上空では鑑識課員を乗せたヘリコプターが旋回し、田宮の指示通りに写真を撮っていた。そのうちに報道のヘリコプターも数機現れて、現場は次第に騒がしくなった。消防車や救急車がサイレンを鳴らして到着し、負傷者を運び始めた。

 海上では水上警察の船をはじめ何艘かのボートが航空機に向かって集まってきた。その救助のボートのひとつに、乗客に混じってK機長が乗り込んでいたことを、田宮はそのとき知らなかった。

 ***

 大火災に続いて墜落事故。検視が終わった遺体の安置では、皮肉なことにホテル・ニュージャパンにおける遺体検視の経験が生かされたという。だが、2つの大惨事をほぼ同時に現場検証するという前代未聞の状況では、意外なものの“不足”にも悩まされた。そしてさらには、横井社長とK機長に関する捜査――。後編では、事件発生後も続いた激動の日々を伝える。

後編【入院中のK機長を目撃して「これは明らかにおかしい…」 羽田沖日航機墜落事故はなぜ1人も起訴できなかったのか】へつづく

上條昌史(かみじょうまさし)
ノンフィクション・ライター。1961年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部中退。編集プロダクションを経てフリーに。事件、政治、ビジネスなど幅広い分野で執筆活動を行う。共著に『殺人者はそこにいる』など。

デイリー新潮編集部

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