こめかみを撃ち抜かれ、指にはエンゲージリングが…「ラストエンペラーの姪」が遂げた心中事件の真相 相手男性が悩んでいた“父親の問題”

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慧生の顔には白いハンカチが

 最後の日、慧生は学習院大学に行って、明子の姿を探した。だが、運悪く明子はこの日授業を休んでいた。そのまま2人は、列車で伊豆を目指した。

 一夜明けた5日、学習院大学に慧生の母・浩がやってきた。武道と一緒に慧生が行方不明だと聞いたとき、すでにふたりは死んでいるのではないかと、明子は直感した。

「行ったり来たりした、ふたりの気持ちが、これほど寄り添った時期はなかった。互いに相手の痛みが、深くわかるようになっていたから……」

 失踪から6日後、明子の予感通り、ふたりの遺体は、天城トンネルから八丁池に向かう登山道を少し逸れた熊笹群のなかで発見された。武道の腕を枕にした慧生は、左のこめかみを撃ち抜かれていた。

 武道は自身の手で、右の脳に弾丸を撃ち込んだ。慧生の顔には、白いハンカチがかけられ、最後の朝に下ろした貯金で買ったエンゲージリングが、細い指にはめられていた。武道もまた、当日に購入した新品の靴をはいていた。下着はふたりとも、真新しいものに替えていた。ほかに、紙に包まれたふたりの髪と爪が、ヒメシャラの根本に埋めてあった。

 年月を経るたび明子の胸に去来するのは、あの日、もし自分が登校していたら、慧生と武道の人生に別の選択がありえたかもしれないとの一念ばかりだった。

青森の墓から移された慧生の骨

 かつて「天城で結ぶ恋」という甘い言葉が流行った。ややもすると、許されぬ恋の末路として、ふたりの死は飾られた。そうなのだろうか。慧生は、自分が本気で寄り添ったものを信じ切り、結果として死の淵に足をかけた。それは殉死であった気がする。

 満たされた時間が消失してしまうのを恐れた慧生は、彼を止められないと悟った瞬間、自分の未来と引き換えに、一瞬の幸福感をその胸に永遠に封じ込める道を選んだのではなかったか。彼女は、やっと手中にした幸福感と、愛新覚羅の名を背負い続けるその先の人生とを、天秤にかけたのかもしれない。

 慧生は家庭内で、武道への真摯な思いを堅く封印してきた。それだけに浩は、娘が死に同意したとは、どうしても思えなかった。悲嘆にくれ、「娘は誘拐されたことにしてくださる」と明子に言った彼女は、真実は「無理心中」であるとの見解を、終生曲げなかった。

 八戸郊外にある大久保家の菩提寺には、慧生と武道の戒名を刻んだ墓石がある。その左脇には、武道が慕った母・つやと、生涯の重しであった弥三郎の墓石が並ぶ。が、そこに慧生の骨はない。

 彼女の骨は昭和63年、下関市の中山神社境内に建てられた愛新覚羅社(祖霊殿)に73歳で逝った浩と一緒に納められた。遺族の希望により、京都にある嵯峨家の墓地から、中国大陸に近いこの地に遷座されたという。

駒村吉重

デイリー新潮編集部

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