巨人・藤本英雄が達成した「幻の完全試合」 目撃者は意外な人物(小林信也)

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少年たちは見ていた

 藤本は「日本で最初にスライダーを駆使した投手」とも呼ばれる。

 肩を痛め、打者に転向した時期もあったが、今度は足を痛めて再び投手に復帰。調整のため宇野光雄と2軍でキャッチボールをしていた48年のある日、宇野から藤本のボールがパッと右に切れると指摘され、スライダーの習得を決意した。

 それが藤本の覚醒の時だったかもしれない。MLBの名投手ボブ・フェラーらの著書を読んで研究し、独自のスライダーを体得した。48年には8勝に落ち込んでいた成績が49年に24勝、50年には26勝。その上昇機運の中で生まれた完全試合だった。だがこの日、西日本打線を抑えたのは、スライダーを狙う相手打線をシュートでうまくかわした投球だとも伝えられる。32歳、頭脳的な投球がさえての好投だった。

 それにしても、「ほとんど誰も見ていなかった日本初の完全試合」の目撃者は案外存在した。当時中学生だった詩人で劇作家の寺山修司がスタンドで見ていた。青森市内の小学生だった作詞家で小説家のなかにし礼はバットボーイを務めていたという。

 私もひとり、目撃者を知っている。大学時代、草野球で対戦した後、私を当時神宮外苑でよく知られた草野球チームに誘ってくれた団長こと音楽評論家の伊藤勝男も完全試合を見たのを自慢にしていた。幻のような藤本の完全試合は、多くの少年たちを触発し、後に各界で活躍する才人たちの背中を押す力となったのかもしれない。

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2024年4月4日号掲載

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