「今月会おうと約束していたのに…」 鳥山明さんの元アシスタントが明かす、最後のやりとり

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世界中から哀悼の声

 世界をとりこにした「レジェンド」が、人知れず旅立った。3月1日、漫画家の鳥山明さんが68歳で死去。死因は急性硬膜下血腫だった。後編では、鳥山さんをよく知る知人や同級生が語った知られざる素顔を紹介するが、前編では、元アシスタントが明かす最後の会話などについて報じる。【前後編の前編】

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 集英社「週刊少年ジャンプ」公式サイトに訃報が掲載されたのは、さる8日のことだった。

「その途端にSNS上は騒然となり、『ドラゴンボール7個集めて生き返らせて』といった悲痛な書き込みも多く見受けられました」

 とは、スポーツ紙デスク。さらには、

「鳥山さんの作品は海外にもファンが多く、中国外務省は会見で『深い哀悼の意』を示すなど異例の対応を見せた。またフランスのマクロン大統領も、鳥山さんから贈られたサイン色紙をXに掲げ、日本語でも追悼していました」(同)

 出世作「Dr.スランプ」は、1980年からジャンプで連載が始まった。翌年にはテレビアニメ化され、主人公が繰り出す「アラレ語」は当時の流行語となった。

「手術は2月になったから会うのはその後に」

 81年から11年にわたってアシスタントを務めた岐阜県在住のイラストレーター・松山孝司さん(66)は、

「先生とは、今月にも会おうと約束していたところでした」

 そう明かしながら、

「最後に先生と会ったのは昨年9月。以前から糖尿病にかかっていたところに『ちょっと脳腫瘍の手術をしなきゃいけないんだ』と。それでも『脳の外側だからそんなに難しくないらしい』というので安心していました。当初は年内に手術するはずが仕事の都合で延びたのか、1月にやり取りした時は『手術は2月になったから会うのはその後に』とメールがあったのです」

 突如として牙をむいた病魔は、近しい人にとっても青天のへきれきだったのである。

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