「どのスポーツでもプロになれる感覚があった」 水谷隼が卓球を選んだ意外なワケ(小林信也)

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じゃんけんの感覚

 小学生の頃は「卓球をやめたい」と思っていたが、ドイツに行って「自然と気持ちの切り替えができた」と言う。

「中学2年で学校にまったく行かなくなった。ドイツでは平日は朝から練習、週末は試合。自分はもう一生、卓球で生きていかなきゃいけないんだと思いました」

 孤独な水谷を支えたのは、卓球の未来を自分が担う使命感だった。

「卓球をメジャーにしたいと小さい頃から考えていた。卓球はこれだけ勝つのが難しいのに、どうして日本では評価が低いんだ? 卓球で一番の選手はスポーツで一番だと思っていた。卓球のステータスを上げたい!」

 2012年のロンドン五輪で女子が団体銀メダルに輝き、卓球人気はメジャーになった。ところが、テレビで話題になるのはほぼ100%、女子だけだった。

「女子に埋められない較差をつけられちゃった。世界選手権の成績や世界ランキングは女子に負けていない。だけど、五輪のメダルは大きかった。男子が注目されるには、リオ五輪でメダルを取るしかない。もっともっと強くなる必要があると思って13年からロシアリーグに挑戦した。日本の男子では初めてプライベートコーチもつけた」

 その成果はすぐ表れた。

「13年に邱建新コーチと契約して、半年後の日本選手権で3年ぶりに優勝。そこから4連覇。世界でも中国選手以外にはほぼ負けなくなった。邱さんは中国代表だった実力に加え、ドイツのブンデスリーガで長く監督を務めていた。邱さんほど世界のトップ選手の技術を深く知っているコーチは当時日本にいなかった。練習内容は厳しかった。自分一人ならやめるところから限界を伸ばしてくれる、そういう指導でした」

 卓球は究極のメンタルスポーツと呼ばれる。

「あの狭い卓球台の中で、相手と常にじゃんけんしているような感覚。いかに相手の読みを外すか。卓球は、守っても勝てる競技。だからリスクを冒さず、守り勝とうとする選手もいる。その弱さを振り切って闘えるか。勝つ選手はリスクを背負う。バックサイド、フォアサイド、どっちに来るか? 賭けて、完璧に読み切って絶対にミスしない選手だけが勝つ。そこが卓球の面白さ、奥が深い。僕は19歳くらいで、世界の舞台でもある程度それがやれるようになった。

 大先輩の荻村伊智朗さんが『卓球は、100メートルを全力疾走しながらチェスをする競技』と言われた通りだと思います」

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