「方向音痴で『一人ではどこにも行けない』と……」 鳥山明さんの元アシスタントが明かす“素顔” 「カヌーにお誘いしようと思っていた矢先で」

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「今月にも会おうと約束していたところでした」

 1日に急性硬膜下血腫で亡くなっていた漫画家の鳥山明さん(享年68)。鳥山さんをよく知る人物らが語る、謙虚でシャイな素顔とは――。

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 1981年から11年にわたってアシスタントを務めた岐阜県在住のイラストレーター・松山孝司さん(66)は、

「先生とは、今月にも会おうと約束していたところでした」

 そう明かしながら、

「最後に先生と会ったのは昨年9月。以前から糖尿病にかかっていたところに『ちょっと脳腫瘍の手術をしなきゃいけないんだ』と。それでも『脳の外側だからそんなに難しくないらしい』というので安心していました。当初は年内に手術するはずが仕事の都合で延びたのか、1月にやり取りした時は『手術は2月になったから会うのはその後に』とメールがあったのです」

カーテンの陰に隠れて応対

 かつて集英社宣伝部で個展「鳥山明の世界」を企画・立案した山本純司氏は、

「93年から97年にかけ、国立西洋美術館をはじめ全国で鳥山さんの原画などを展示する企画でした。公立の美術館で漫画家の展覧会が開かれるのは手塚治虫さんに次いで2人目で、最初に展示の話を鳥山さんに持ち掛けた時、照れ笑いしながら『そんな……(自分を)買いかぶり過ぎですよ』と。すでに大御所だったのに、偉ぶるところが全くない人でした」

 さらに続けて、

「連載作家さんや関係者が集まって、時々『週刊少年ジャンプ』のパーティーが催されたのですが、鳥山さんはいつもジーンズにトレーナー、キャップを被ってスニーカーで現れた。関係者だけの宴席とはいえ、普段お目にかかれない人だからサインを求める列ができてしまう。そんな時、鳥山さんは会場の隅でカーテンの陰に隠れて応対していました。元々シャイなのですが、『他の先生方もいるのに自分だけ目立つと悪いから』という心遣いだったのでしょう」

 どこまでも「普通」を好んだというのだ。

「カヌーにお誘いしようとしていた矢先に」

 前出の松山氏も、

「私は先生の2代目アシスタントとしてお手伝いしましたが、車やバイク、映画に模型製作と共通の趣味が多く、仕事以外にも楽しい時間を共有させていただきました。先生が故郷の愛知にとどまったのも、のんびりした田舎が気に入っていたからみたいです。以前は漫画賞の審査員の仕事などで東京に行く用事がありましたが、『最近はとんと行ってないし断っている』とも話していました」

 スーパーマーケットで食材を眺めるのが好きだったという鳥山さんは、

「最近は軽自動車に乗っていましたが、方向音痴なところがあり『一人ではどこにも行けない』と言い、道に詳しい私は『マップくん』と呼ばれていました。長年のお疲れを癒やしてもらいたくて、瀬戸内海で体験できる6人乗りの『アウトリガーカヌー』に近々、先生をお誘いしようと思っていた。その矢先のことでした」(同)

 3月14日発売の「週刊新潮」では、不世出の天才が抱き続けた地元愛など、知られざる人柄について詳報する。

「週刊新潮」2024年3月21日号

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週刊新潮 2024年3月21日号掲載

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