【追悼】「政治活動で満州から退去」「3日間かけてリヤカーでピアノを運び…」 小澤征爾さんのルーツに迫る

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 今月6日に88歳で亡くなった小澤征爾氏は、音楽界の巨匠という存在を超えて、戦後の日本人が復興と共に世界に立ち向かっていく象徴だったともいえよう。不世出の指揮者を生んだ個性あふれるファミリーストーリーを見てみよう。

“世界のオザワ”を生み出した小澤家には才能豊かな顔ぶれがそろう。

 たとえば征爾氏から見て、次兄の俊夫氏(93)はドイツ文学者、甥の小沢健二氏(55)はミュージシャン、長女の征良氏(52)はエッセイスト、長男の征悦氏(49)は俳優といった具合だ。

 ノンフィクション作家の石井妙子氏は小澤家のルーツについてこう語る。

「今でこそ華麗なる一族と称される小澤家ですが、古くからの名家ではありません。征爾さんの父の開作さんは1898年、現在の山梨県西八代郡市川三郷町の貧しい農家に生まれました。23~24歳の頃、新天地を求めて中国の大連にわたり、大陸浪人のはしりのような生活を送ったのです」

逆境を物ともしない反骨精神

 その後、開作氏は満洲国で、東アジア民族が対等に暮らす「五族協和」の理想に燃えて政治活動に勤しむが、軍部から疎まれ退去勧告を出されてしまう。

「1943年に帰国してからは厳しい暮らし向きだったそうです。しかし、幼少期から楽才の片鱗を見せていた征爾さんのために、親戚の家から3日間かけてリヤカーでピアノを運んだり、苦しい生活の中で私立の成城学園中学に通わせたりしてあげたのです」(同)

 こうした父の計らいで楽才を開花させた征爾氏。23歳で貨物船に単身乗り込み渡仏して以降、持ち前の物おじしない明るい性格とたゆまぬ努力によって、世界へと羽ばたいていったのはつとに知られた話だ。

「開作さんと征爾さんに共通しているのは、貧しさや逆境を物ともしない反骨精神でしょう。無謀にも海外に飛び出し理想を追い求めるあたりが、やはり親子だなと思います」(同)

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