帝京高→DeNA→現在、警視庁第四機動隊員 元プロ野球選手・大田阿斗里さん(34)が語る野球人生

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「デビューから10連敗」、そしてプロ6年目での初勝利

 ルーキーイヤーとなった08年、早くも一軍マウンドを経験した。5試合に登板して、9月25日、甲子園球場で行われた阪神タイガース戦では先発マウンドも託された。

「序盤は抑えていたんです。でも、1点を取られた瞬間から頭が真っ白になりました。そこからは身体が宙に浮いた状態で投げているような感じで。気がつけば5失点。ずっとファンだった金本(知憲)さんを三振に打ち取ったのは覚えているんですけど、それ以外のことはあまりよく覚えていません」

 プロ初年度は、防御率8.03というほろ苦い結果に終わった。それでも大田はまだ19歳。彼の目の前には明るい未来しか待ち受けていなかったように思えた。しかし、プロの世界は厳しかった。入団から5年が経過しても、一度も勝ち星を挙げることはできず、史上6人目となる「デビュー10連敗」という不名誉な記録を作ってしまった。

「6連敗ぐらいまでは悔しさも強くて、かなり引きずっていました。でも、それ以降は連敗のことについてはあまり気にせずに、自分の与えられた場所で一生懸命投げることしか考えていなかったです。とは言え、プロ4年目ぐらいからは常に《戦力外通告》が頭の片隅にはありました」

 それでも、球団は大田との契約を続けた。そして、プロ6年目となる13年5月に一軍登録される。6月22日のタイガース戦では、1点リードの5回表2死満塁の場面で2番手投手として登板すると、6回表まで無失点に抑え、待望の一軍初勝利を挙げた。

「この瞬間、“これでようやくプロ野球選手になれたな”という思いはありました。でも、そこまでの大きな感動はなかった気がします。それよりも、それまでもちょくちょく一軍では投げていたので、僕がプロ初勝利だということを周りの人が気づいていなかったことの方が印象に残っていますね(笑)」

 この年は自己最多となる38試合に登板。2勝4敗5ホールドと、一軍投手の中で少しずつ存在感を示すこととなった。しかし、翌年以降は右肩の故障に苦しめられることになる。大田に転機が訪れようとしていた。

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