部員わずか19人、全員地元っ子…創部120年・和歌山「耐久高校」を“初甲子園“へ導いた立役者

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明治時代に創部、来年は120周年

 1月26日、3月18日から開催される「第96回選抜高校野球大会」(センバツ)に出場する32校が決まった。その中でも注目されているのは、春夏を通じて初出場の耐久高校(和歌山)だ。

 耐久高は県中部の有田郡湯浅町にある県立高。高校野球ファンの間では無名だが、幕末期の1852年(嘉永5年)に設立された歴史ある学校だ。ペリー来航の一年前、国際情勢に対応できる人材の育成を考えた実業家らが、剣術や国学などを教える私塾「耐久社」を開いたのがその始まりだという。「耐久」には、学舎がいつまでも長く続き、“自学自労”の精神に満ち溢れた人材が育つようにという願いが込められている。

 同校の野球部は日露戦争が終わった1905年(明治38年)に創部され、来年は120周年を迎える。ただし、これまで一度も甲子園に出場していない。

 和歌山には、和歌山中(現・桐蔭)や海草中(現・向陽)といった戦前に甲子園優勝を果たした古豪や、名将・尾藤公監督に率いられ79年に春夏連覇を達成した箕島といった県立の伝統校が存在する。加えて、平成に入ってから台頭した智弁和歌山は現在までに春夏合わせて優勝4回を果たし、近年は市立和歌山と2強を形成している。他にも勢いのある公立校が多く、耐久は強豪たちの狭間で埋もれていた存在だった。

チャンスを逃し続けていた耐久

 とはいえ、過去の耐久には甲子園出場のチャンスがあった。81年、秋の県大会準決勝では大成(現・海南高等学校大成校舎)に敗れたものの、3位決定戦で向陽を破り、センバツ出場がかかった秋季近畿大会への進出を決める。

 秋季近畿大会では、センバツ優勝経験のある古豪・洲本(兵庫)との一戦を3-1でものにしたが、続く準々決勝で西京商(現・西京、京都)に1-4で敗れた。当時、近畿の出場枠は7枠だったが、ベスト8に県1位の箕島と県2位の大成が残っていたこともあり、県3位の耐久は落選の憂き目にあった。

 その2年後も県3位で秋季近畿大会に出場したが、初戦で三国丘(大阪)に7回コールド負けを喫して敗退。03年と20年にはセンバツ21世紀枠の県推薦校になったものの、吉報は届かなかった。そして23年、40年ぶりに出場した秋季近畿大会で初の4強入りを果たし、今回のセンバツ出場が決定した。

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