岸田首相の「ナゾの笑み」は正常化バイアスのあらわれか 宏池会の「呑気な遺伝子」とは

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自信のある表情で「解散」発表

 岸田首相自ら岸田派(宏池会)の解散を決断したことを発表したのは1月18日のこと。

 内閣や自民党の支持率低下を受けての最後の一勝負、あるいは大バクチという見方が大勢を占めているが、その際の首相の表情に違和感を抱いた向きも少なからずいるようだ。

 かなり大胆かつ唐突な決断なのは間違いなく、党内での一波乱も想像される状況なのだが、どういうわけか岸田首相が笑っているように見える場面もあったからだ。

 当時の状況を産経新聞はこのように伝えている。

「首相は記者団の取材に応じ、笑みを浮かべながら『宏池会の解散について検討している』と表明した。首相周辺は『今まで見たことのない、自信のある表情だった』と話した」(1月19日付)

 この段階で実は根回しなり、あるいは周到な戦略なりが準備されていた、というのであれば笑顔の意味もわかりやすいのだが、どうやらそうでもなさそうなので、モナリザとは言わぬまでも謎の笑みとなっているのである。

 客観情勢から見れば、「自信のある表情」の根拠は不明である。派閥の裏金問題は、検察の捜査は終わっても、国民の納得感はまったく得られていない。政治刷新本部への期待感も醸成できていない。支持率を浮上させるようなカードは見当たらない。

「宏池会の解散」というサプライズで局面が変わると考えていたのならば、相当に甘い見通しだというのが普通の受け止め方だろう。

 ちなみに宏池会の創始者、池田勇人首相が退陣した1964年11月にリリースされた植木等が歌う名曲が「だまって俺について来い」。歌詞の中の有名なフレーズは「そのうちなんとかなるだろう」だったが――。

呑気な遺伝子が入っている

 そもそも宏池会には「正常化バイアス」があるのだ、と看破していたのは、片山杜秀・慶應大学教授(政治思想史)だ。正常化バイアスとは、危機に瀕しても現実を直視せず、「大丈夫」と好材料ばかりを探してしまうような心の動きのことである。

 片山氏の新著『歴史は予言する』には、「宏池会における正常化バイアスの伝統について」という論考が掲載されている(以下、引用は同書より)。

 宏池会はもともと池田勇人首相が旗揚げした派閥だった。名前の由来は後漢の馬融の言葉。

「高光のうてなに休息し、以て宏池に臨む」

 宮殿の高楼から広い池を見渡すような余裕のある心持ちで、雨が降ろうと槍が振ろうといつも慌てずに政治を行うべし――こんな意味である。

「名づけ親は、池田の心の師だった、大正期からの大物右翼思想家の安岡正篤。安岡には『危機静話』という著書もある。常に極端に走らず中道を行けば、どんな非常時も必ず平時に復する。危機を乗り越えるのは静かな平常心。分断を克服するのは北風でなく太陽。たとえばお金。所得倍増。安岡が魂を入れた宏池会の精神であろう。穏健保守の真骨頂である。

 (略)

 そう言えば、昭和天皇の終戦の詔勅に『万世の為に太平を開かむと欲す』の一節を足したのは安岡であった。日本は切羽詰まってみじめに負けるのではない。まっとうで余裕のあるうちに世界平和を望んで自ら積極的に終わらせるとの意が籠る。

 既に原爆さえ落とされたというのに! こうなると冷静に平常心を保つというよりも、正常化バイアスが入っている。どんな異常な極限状況もなお余裕を示して処理できるはずと思い込み、一種の認知の歪みである。

 宏池会の背景には、安岡流の呑気な遺伝子が入っている。それでこなしきれる時代だろうか。

 嵐の大海を広い池のつもりで進めると信じ、国力も尽きかけているのにまだ余裕があると思う。正常化バイアスを脱せずに、宏池会の政権が難破し、戦後日本の穏健な保守が終わってしまったら? そのときパンドラの箱が開く」

 片山氏の論考は、穏健保守が退場した後には、もっと過激な勢力が伸長するのではないか、という懸念を示して終わっている。

 その“予言”があたるかどうかはともかく、首相が笑っている場合ではない状況なのは間違いないだろう。

※本記事は、『歴史は予言する』の一部を抜粋、再編集したものです。

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