「90畳の書庫」にあふれる資料の山 「週刊新潮」名物コラムの筆者、片山杜秀教授のすごい知識量
90畳の書庫
本に囲まれて暮らしたい。書庫が欲しい。本好きならば一度は思ったことがあるだろう。
しかし、この写真を見てうらやましいと思うか、それとも恐ろしいと感じるか、反応は分かれるところかもしれない。
慶應大学教授(政治思想史)で音楽評論家でもある片山杜秀さんの書庫はご覧のような迫力ある状態になっている。
「本が増えすぎて、広い家を探していたところ、作業場付の工務店の中古物件を紹介されましてね。即決でした」
本人も蔵書数を正確には把握しておらず、数万とも数十万ともみられる本、そしてCDが、かつて木工作業場だった90畳の空間を埋め尽くす。
「スペースがあると思って古本屋でどんどん買ってきてしまうんです。全然整理できなくって、気付いたら同じ本が何冊もあったりして。ほんと、お恥ずかしい限りです」
ここまでのカオスに憧れる人は少ないだろうが、一方で「90畳の書庫」というあたりから、さぞかし豪邸に住んでいるのではと思われる方がいても不思議はない。もっとも、この書庫兼自宅があるのは都心ではなく、北関東某県の県庁所在地でもない土地で、簡単にいえばかなりの田舎。都心まで電車を乗り継ぎ2時間ほどはかかる場所なのだ。
ともあれ、この膨大な本やCDが片山氏の研究の材料となり、また執筆の際のネタにもなっているのは間違いない。
歴史は予言する
博覧強記で知られる片山氏の扱うテリトリーは極めて広い。本業である政治思想、クラシック音楽はもちろんのこと、経済、演劇、映画、スポーツ等々、あらゆるジャンルについて造詣が深く、最近では「知の巨人」などと評されることもある。
「週刊新潮」の巻頭コラムをまとめた新著『歴史は予言する』(新潮新書)でも、その真価は存分に発揮されている。実にマニアックなウンチクを散りばめながら、時事的な話題を批評する手腕にファンは多い。
たとえばジャニーズ事務所所属で、人気絶頂だった頃のフォーリーブスが戊辰戦争を題材にしたコメディー番組に出演していたというエピソードを前振りに、新選組のイメージの変遷に話は移り、そして現在の「れいわ新鮮組」の話題に飛び……という按配である。
若き日の岸田首相
ちなみに同書で描かれている、大学生時代の片山氏が見た、若き日の岸田文雄首相の印象は今となっては味わい深い。
1983年、大学2年生の片山氏はクラブの先輩の命令で「岸田文武君を励ます会」の手伝いのアルバイトをした。文武氏は現首相の父で衆議院議員だった。
パーティーが終わったあと、文武氏は学生アルバイトたちにも敬語でお礼を言いにきたという。その礼を尽す姿勢に感動している片山氏の斜め前に座ったのが長男、岸田文雄氏だ。
「仕事のせいで遅れて来た。育ちの良さは一目でわかる。けれどあまりに超然としている。文雄氏はそのとき政治家でも秘書でもなく、アルバイトと打ち解ける必要など、もちろん全くないのだが、それにしてもわれわれが居ないかのように、食べて飲んで、遠い目をしては、腕時計を眺めるばかり。完全なる無口。未来の政治家の雰囲気は見つからないなあ。そう思った」
なお、このコラムは単なる人物評に終わるのではなく、話は陽明学へとつながっていくという趣向。
大震災の時、本棚は……
膨大な知識と経験、そして自慢の書庫に並ぶ圧倒的な資料をもとに片山さんは週刊誌連載はじめ書下ろしその他、執筆活動に勤しんでいる。ただ、実際に仕事をするのはこの書庫ではなく、別の書斎だという。
「エアコンも窓もないので、夏は暑くて冬は寒いんですね。久々に足を踏み入れると、コウモリの死骸が落ちていたこともあります。どこからか入り込んで、脱出できなくなったのでしょう」
とはいえ片山邸の場合、すでに書斎はもちろん、玄関先から階段まで家中が本だらけ。心配されるのは地震の時に一体どうなるかだが、
「東日本大震災の時、書庫の本棚は意外にもほとんど崩れませんでした。たまたまかもしれませんが、揺れの方向が良かったのですね」
といいつつ、最後にこんな笑えないエピソードを披露してくれた。
「19世紀フランスの作曲家アルカンは、本を取ろうとして本棚が倒れて下敷きになって亡くなったという説もあるんですよ」