甦った45年前の伝説的ライヴ、ボブ・ディラン「コンプリート武道館」の正しい聴き方

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 現在82歳の超大物ミュージシャン、ボブ・ディランの1978年の初来日公演を再現したアルバム「コンプリート武道館」が先ごろ発売された。これまで未発表の2日間のコンサートでの演奏を、最新技術でリミックスしたものだ。その聴きどころを、昨年2月に『ボブ・ディラン』(新潮新書)を上梓した音楽評論家の北中正和氏に解説してもらった。

“フォークの神様”の記者会見

 ボブ・ディランが初来日公演を行ったのは、1978年の2月から3月にかけてのことだった。

 当時の彼の日本での知名度は、同世代のビートルズやローリング・ストーンズほどではなかった。とはいえ、60年代に「風に吹かれて」を作って〈フォークの神様〉と呼ばれ、ポピュラー音楽に後戻りのできない変革をもたらしたロックの名曲「ライク・ア・ローリング・ストーン」の作者として、関係者の評価は高かった。

 だから羽田空港に到着したときはカメラマンが殺到し、空港内のホテルで行われた記者会見には約200名の記者が集まった。ぼくも会見に行ったが、新聞記者が〈フォークの神様〉という言葉を使って60年代から時間が止まったままのような質問をする様子を、儀式か芝居のようだと思いながら眺めていたことを思い出す。

“謎解き”のようなコンサート体験

 記者会見でのやりとりとちがって、武道館で行われたコンサートのボブ・ディランは新しい姿を見せた。管楽器奏者やゴスペル風の女声コーラスを含むバンドは、彼にしては編成が大きく、演奏もそれまで聞いたことがないものだった。

 新曲が多かったからではない。おなじみの曲の数々が演奏されるのに、レコードと同じヴァージョンがひとつもなかったのだ。メロディも大幅に変えられていたので、知っている歌詞が出てきてやっと、ああこの曲だったのかとわかる有様だった。

 とはいえ、拙著『ボブ・ディラン』でも触れたように、彼がコンサートのたびに演奏やメロディを大きく変えることは、ライヴ・アルバムで先に承知していたから、予想外のことではなかった。もしかしたら、はじめて来た日本では、サーヴィスして元のヴァージョンで演奏してくれるかもしれない、という淡い期待もなかったわけではない。しかし後を振り返らない彼の姿勢は、武道館でも一貫していた。だからコンサートは、どの曲をどう料理するのだろうと、謎解きしながら、最新のボブ・ディランを確認して味わう感じだった。世界各地のファンが体験してきたことを自分もまた同じように体験していることがなんだかおもしろかった。

2日間の演奏58曲をまるごと収録

 そのツアーでは、2月28日と3月1日の演奏がレコーディングされ、ライヴ・アルバム「武道館」として発売された。有名曲中心に22曲が収録されていた。来日アーティストのコンサートのライヴ盤は、昔から日本の洋楽ファンの人気商品で、当初は日本限定発売だった。しかし海外のファンの要請により、結局、世界発売され、アメリカやヨーロッパでもけっこう評判になった。

 それから45年。その2日間のコンサートをまるごと収録したアルバム「コンプリート武道館」が、今度も日本企画で全世界発売された。最新技術でリミックスした演奏が58曲。CDは4枚組、LPでは8枚組。日本風のジャケット、未発表写真満載のブックレット、コンサートのポスター・ツアーパンフ・入場券の復刻版など、ファン心理をくすぐる豪華仕様で、お値段のほうもそれなりだ。

 ボブ・ディランはリズムにのってイェー!とあおって会場を盛り上げるタイプではないが、緩急まじえて進んでいく演奏や客席の反応からは、伝説的な人物の初来日公演ならではの緊張感が伝わってくる。同じ曲が収録されているから28日と1日の演奏の細部のちがいがよくわかる。たとえば彼のうたい方の変化に合わせてバンドの演奏も柔軟に変化している。最近のツアーではサンキューくらいしかしゃべらない彼が、タイトルを告げたり、メンバー紹介をやったりしているのも新鮮だ。

 当時意外だったのは管楽器奏者スティーヴ・ダグラスの参加だった。彼はロサンゼルスのフィル・スペクターやビーチ・ボーイズの音楽に関わってきた有名なスタジオ・ミュージシャンだ。ボブ・ディランの音楽の軌跡とは接点がなさそうに思えたが、サックスで演奏全体に厚みを出すことに貢献し、名曲「ミスター・タンブリン・マン」「くよくよするなよ」「天国の扉」ではフルートで洗練されたポップな味わいも加えていた。

ノーベル賞に加え博物館も

 ボブ・ディランは、2016年にノーベル文学賞を受賞し、22年には博物館もできた。そして82歳になったいまもなお精力的にワールド・ツアーを行っている。

 2021年にはじまり、23年春に日本に来た〈ラフ&ロウディ・ウェイズ ワールドワイドツアー〉は、24年まで続く予定だ。60年代のデビュー以来、交通事故をきっかけにあまりライヴをやらなかった時期があったにもかかわらず、同世代のミュージシャンの中では、公演数がずば抜けて多い。

 きりのいいところでいさぎよく引退するのと、よりよい演奏を求めて終わりのない旅を続けるのと、どちらが幸せなのだろう。「ネヴァー・エンディング・ツアー」というタイトルを掲げて実行してきたくらいだから、彼がツアー嫌いでないことは確かだ。当代きっての叙事詩人として生涯現役で世界を凝視し続けることが自分に与えられた楽しい使命だと思っていることもまちがいないだろう。ロックが若者の音楽とみなされていた時代からすると隔世の感だ。かくいうぼくも後期高齢者。彼の歌ではないが、まさに「時代は変わる」である。

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