田中派が「ロッキード選挙」でも負けなかった理由 石破茂元幹事長が振り返る「自民党田中派化計画」

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前編【田中角栄の選挙戦は「総合病院」のようだった 石破茂が振り返る「田中派のすごさ」】からのつづき

 田中角栄元首相に誘われて政治の道を歩み始めた若き日の石破茂元自民党幹事長は、田中派においてシステマチックな選挙戦略を叩きこまれる。その「田中派」の知見を幹事長時代、自民党に浸透させようと図ったが――。

(前後編記事の後編・石破茂著『政策至上主義』をもとに再構成しました)

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自民党田中派化計画

 2012年、安倍総裁の下で自民党幹事長になった際、考えたのは、自民党全体をあのころの田中派のようにしたい、ということでした。より正確に言えば、選挙に強い田中派の文化を自民党の文化として浸透、定着させたいと考えたのです。

 すでに小選挙区制度となって久しく、自民党議員同士が戦うことはもはや無くなっていました。中選挙区時代は同じ選挙区の中でも派閥同士で議席を争い、それぞれが総裁候補を立てて争っていました。その派閥の色もあり、右寄り、中道、左寄りの派閥が党内にあった。この構図から、かつては自民党内で疑似政権交代が行なわれていたとも言われます。

 しかし選挙制度改革等により、派閥の力は低下していきました。もちろん、すでに田中派の文化もほとんど廃れていました。

 それだけに党全体で、選挙に常に備え、勝つためのノウハウを共有する体制を作りたい、と私は考えました。もちろん派閥ごとに政策を研究し、議論をするのはいいことです。そこにはそれぞれのやり方、文化があってしかるべきです。

 しかし、選挙戦においては田中派のアプローチが有効だというのが私の考え方でした。

風頼みからの脱却

 小選挙区制度は、「風」次第で大きく情勢が変わる制度だとされています。2009年にはその風が民主党(当時)に、2012年には自民党に吹いたことで、政権交代が起こりました。

 小選挙区とはそういうものだから仕方がない、という考え方もあるのでしょう。

 しかし、政党として目指すべきは、少々の風ではびくともしない体制のはずです。自民党がその時々の「風」で勝ったり負けたりする党になってしまったのは、選挙の底力──日頃の有権者との触れ合いをなおざりにしてきたからではないか、とかねがね私は考えていました。

 これは思い付きではなく、自分の経験に裏打ちされた確信でもあります。

 1983年12月の衆議院選挙、いわゆる「ロッキード選挙」の名前の由来は、言うまでもなくロッキード事件です。選挙戦の2カ月前にロッキード事件の公判で田中先生は有罪判決を受けていました。当然、世間の風当たりは強く、田中派の候補者は不利な戦いを強いられます。

 そんな中、選挙直前、田中先生は配下の議員たちにこんな檄を飛ばします。

「お前たち、地元で俺の悪口をどんどん言え。『俺は田中派だけど、田中は許せん』くらいのことを言って構わん。それで勝って戻って来い」

田中派は負けなかった

 結果、どうなったか。

 開票日、私は砂防会館に田中派が設置した開票センターのようなところにいました。議席数を書いた紙をめくっていくのが新米事務局員の仕事です。寄席でよく見る演者を書いた紙のようなものをイメージしていただければわかりやすいでしょう。

 自民党の議席数、田中派の議席数を当確が出るたびにめくっていく。すると、途中までその両方をめくるペースがまったく同じでした。自民党は前回284議席から250議席と大きく議席を減らしましたが、田中派は議席をほとんど減らさなかったのです。

 私にとってこの経験は強烈なものでした。選挙とはこういうものか──まざまざと見せつけられた気がしました。どんなに向かい風が強くても、きちんとした選挙をやっていれば負けない。そんな教訓を得た選挙でした。

 その後、様々な経緯があり、選挙制度が変わったこともあり、派閥が選挙に与える影響力も弱くなりました。一方で、それに代わりうる党内の選挙システムは、少なくとも私の知る田中派ほどには存在していませんでした。これでは風に勝てない。風によって落ちたり、通ったりすることになる。それではいけない。

 だから幹事長として、党内全体を改革すべきだと考えたのです。

 このように述べると、「政治家は選挙のことばかり考えている」と嫌う方もいるかもしれません。しかし、私は風に負けない政党でなければ、長期的な政策を打ちだせないと考えています。

 これからの責任政党は、受けが悪かろうが耳が痛かろうが、国民に訴えるべき政策を訴えざるをえなくなります。そのためには、選挙に強い自民党でなくてはなりません。迎合的ではない政策を提示して、それでも選挙に勝つ体制を作りたいと考えたのです。

「派閥否定だ」と受け止められる

 自民党を「田中派化」するにはどうすればいいか。

 実際に考えたのは、たとえばこういうアイディアでした。それぞれの派閥の事務所は党本部とは別のところに借りています。これをすべて党本部に集めてしまったらどうだろうか。さらに各派閥の選挙に練達したスタッフも党の職員にしてしまったらどうか。

 狙いは選挙のノウハウをできるだけ党全体で共有することでした。こういう体制を作ることで、かりに他派閥であっても、農政に強い人が弱い人の応援に出向く、といったことが従来よりもスムーズにできるはずだ、と考えたのです。

 さらに、党本部のワンフロアを地方組織のために開放することも考えました。私は民主党から自民党が政権をすぐに奪還した大きな原動力は、地方組織に雲泥の差があったからだと思っています。自民党都道府県連と言われる地方組織の都道府県議会議員、市町村議会議員ともっと党本部が連携できるようになればいいのではないか、というのが発想の原点でした。

 たとえば各地方から陳情に出てきた議員、党員が自由に使えるスペースを設け、人の紹介をしてもらったり、パソコンで作業をしたり、電話をかけたりできるようにする。希望があれば党本部職員のアドバイスも受けられ、また休息場所としても使ってもらえる。こうしたことで、地方組織と中央との連携もより強化されると考えました。

 派閥同士の連携と、地方と中央の連携を進めることで、より選挙に強い自民党をつくれるだろうと思いました。しかし、こうしたアイディアは結局、実現に至りませんでした。特に派閥の連携については、「石破は派閥を否定している」と受け止められてしまったようでした。真意が必ずしもストレートには伝わらなかったのは残念です。

選挙必勝塾

 派閥連携策はうまくいきませんでしたが、選挙に強い体制を作るための選挙必勝塾の開催は実現しました。当選回数が浅い議員を主な対象として、細部にまで立ち入った内容を伝授するセミナーを開催しました。

 たとえば都市部と農村部、男性候補者と女性候補者、2世議員と官僚出身者と地方議員出身者等、それぞれの候補者によって立場は違います。選挙に勝つノウハウには共通の部分もあれば、その立場ごとで違うものもある。個性、属性によって有効な言葉づかいや、NGワードなどがあります。わかりやすい例でいえば、官僚出身者などはつい「上から目線」と受け止められがちなので、そうした点に気を付けなければいけません。

 こうしたことを指導するのが、この選挙必勝塾です。私も講師を務めましたし、いろいろな立場の選挙に強い議員にも講師を務めていただきました。もちろん外部講師として専門家にもおいでいただきました。

 当時の初当選組の中には今でも「あれはすごく勉強になった。よかった」と振り返ってくれる人が多くいるのは、嬉しいことです。実際、必勝塾の特訓のおかげだけではないにせよ、彼ら初当選組の多くは2年後の総選挙でも再選されています。最も厳しいと言われる2回目の選挙を生き残ったのです。

 彼らには初当選の直後から私はこう繰り返していました。

「当選のバンザイをした瞬間から、次の選挙は始まっているのだ。決して浮かれてはいけないし、勝ち誇ったような顔を見せてもいけない。初登院までは東京に来なくてもいいから、公職選挙法の許す範囲でお世話になった方々にお礼のあいさつをし、暇を見つけては選挙区に帰れ。握った手の数、歩いた家の数しか票は出ないのだ」

 これもまた私が旧・田中派で叩き込まれた教えでした。

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 ここでの「受けが悪かろうが耳が痛かろうが、国民に訴えるべき政策を訴えざるをえなくなります。そのためには、選挙に強い自民党でなくてはなりません」という言葉はいささか理想主義にも聞こえる。しかしながら、目先の人気を取ろうとして結果失敗している現状を見ると一定の説得力はある。また、選挙で勝つには表に出せない金が必要だという姿勢よりも、共感を得やすいのではないか。

前編【田中角栄の選挙戦は「総合病院」のようだった 石破茂が振り返る「田中派のすごさ」】からのつづき

※石破茂著『政策至上主義』から一部を抜粋・再構成。

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