2023年の石破茂が語る「総理と派閥の関係」「コロナ対策の問題」から「ヒコロヒー」まで
石破茂・元自民党幹事長の著書『異論正論』が、昨年末、「咢堂ブックオブザイヤー2022」を受賞した。その年の優れた政治関連の書籍を表彰する賞で、国政部門の大賞の1冊として選ばれたとのこと。「咢堂」は、「憲政の神様」と称される尾崎行雄の号である。
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受賞を記念して、石破茂氏に最近の政治について話を聞いてみた。いわば「異論正論」特別編である。
(前後編の前編/後編を読む)
早朝ヒコロヒーに驚いた
――受賞おめでとうございます。
石破:ありがとうございます。前に出した『政策至上主義』も同じ賞をいただいたんですよね。特に賞品があるわけではなくて、賞状をいただくだけだけれども、嬉しいものです。
――先日、「キョコロヒー」(テレビ朝日系)というバラエティー番組に出ていたのを見て驚きました。ヒコロヒーさんのことが好きだと話していましたね(注・放送は1月16日)。
石破:放送日を把握していなかった……。もう放送されたんですね。地方に講演に行った時だったでしょうか、たまたま日曜日に朝早く起きて、ホテルでNHKの「演芸図鑑」を見ていたら、ヒコロヒーさんが出てきたんですね。そこで披露していたネタ(村の生贄)を見て、これは凄い、と思いました。実に面白かった。天才だと思いました。
――そうですか。以前から、バラエティーでも何でも、政治に興味を持ってもらえる機会があれば時間の許す限り出る、とは仰っていましたね。
石破:はい。その番組でもコメントしたように、批判的な意見をぶつけられるような番組にこそ出るべきだと考えています。メディアを選ぶようなことはあまりしないようにしています。
総理は派閥から離れるべき
――そういう場で思ったこと、信じるところを言う方針は変わらないと思いますが、最近は、総理は派閥から離れるべきだ、といった発言が報じられていました。あれはどういう意味でしょうか。
石破:菅義偉前総理がそういうことを仰ったということで、私も意見を聞かれたので、思うところをお話ししました。
もともとかなり前から自民党では党三役と総理は派閥から離れるというのが慣例になっていました。
自民党が下野していた時期、谷垣総裁の下でそのような申し合わせがあったと記憶しています。派閥への厳しい世論を考慮したという面もありました。
その後、政権復帰してからは党三役こそ派閥の長が務めることはありましたが、総理が派閥から離れるという原則は守られてきました。安倍元総理もそうなさっていました。
――素朴な疑問としてなぜ離れなければいけないんでしょうか。世間体ですか?
石破:いや、やはり強い権限を持っていると、どうしても自分の派閥に有利にことを進めたりすることが起こり得るわけで、それは避けねばならない、ということです。
――そんな面倒な申し合わせをするくらいならば、派閥をなくしたほうが早いのではないでしょうか。
石破:それはどうでしょうか。人間が3人いれば派閥ができるなんていう言い方もあるくらいですから、そう簡単ではないでしょう。どの会社にでも派閥めいたものはあるのでは。
また、自民党の派閥には本来は重要な役割があったはずです。
一つは「政策集団」として機能するということ。与党で予算編成に関わる立場だと、どうしても直近の課題に取り組まなければならないという面があります。2~3年先くらいまでのことですね。
もちろんそれは大切な仕事なのですが、一方で政治家はもっと長いスパンの問題、中・長期的な課題も考える必要があります。その場として派閥は機能していたのです。
たとえば私がかつて所属していた田中派は「木曜クラブ」として知られていますが、同じメンバーで「新総合政策研究会」というものも存在していて、月1回は必ず勉強会を開いていました。
このところ話題になることが多い防衛や子育てといったテーマは、急いで対処すべき問題もあるでしょうが、中・長期的な視点での深い議論が絶対に必要です。派閥はそのような役割を果たすことを求められていると思います。
もう一つ、政治家教育の場としての機能も求められているはずです。当選して間もない議員に政治家としての基礎を教える。私も田中派で多くのことを学びました。
最近、続けざまに大臣が辞めることがありましたが、こういった教育の場がきちんと機能していないのではないかと、同じ党に所属する議員として申し訳なく思います。
子供へのダメージを軽視しないでほしい
――新型コロナウイルスについては初期から医療体制の問題点を指摘しており、『異論正論』でもかなりいろいろと提言しています。病床数が多いのに、すぐに医療崩壊が懸念される状況はおかしいといった指摘も書かれていました。しかし、医療体制が感染状況に臨機応変に対応できない点は、いまだに改善されていないように見えます。
石破:本でも書きましたが、日本人の医療リテラシーが問われていると感じています。そもそも医療を社会の中でどう位置付けるかを考えるべきではないでしょうか。
経済学者の宇沢弘文先生は教育、医療、治安等に関することは資本主義には馴染まない旨、述べていらっしゃいました。「社会的共通資本」という表現がよく知られています。これらに資本主義的な競争原理を持ち込むのは無理があるということでしょう。
また、医師も看護師も育成にあたって税金を費やしていますし、医療費の大きな部分を占める健康保険料はほぼ税金のような徴収をしています。そういう前提があるのに、医師免許を取って、一番儲かって楽なところに行こうとする方がおられる。
もちろんどのような道を進むのかは自由でしょうが、今回のような事態になってもそれでいいのかは疑問です。
医療は公共インフラの一種である、ということを前提としなければいけないと考えています。
――新型コロナウイルスに関しては、感染症法上の分類の見直しも同書で提案していますが、いまだに実現していません。「2類相当から5類へ」というのは、安倍元総理も辞任直前に提言しており、岸田総理も以前から検討を口にしていたにもかかわらず、移行は5月の連休明けとなりました。これについてはどう思いますか。
石破:1類はペストやエボラ出血熱で、2類は結核やSARS、MERSにあたります。流行初期、新型コロナの正体も治療法もわからなかった頃は仕方がないにしても、もうあれから3年になります。
相当な知見が蓄積されているにもかかわらず、分類の見直しをしなくていいのだろうか、という問題提起をずっとしてきたわけです。
この話をすると「全額公費を見直せというのか」「全部自己負担にしろというのか」と怒る方がいるんですが、なぜそんな極端な話になるのかわからない。一定額を補助することだってありえるでしょう。そこは専門家や現場の意見も聞きながら、いろいろと現実に即して考えていけばいい。
――コロナ対策について、何らかの意見を言うと「命をどう思っているのか」といった批判が寄せられることも多いのでは。
石破:これも先ほどお話しした医療リテラシーと関係した問題です。高齢者や特定の疾患を持つ方にとっては、今でもかなり怖いウイルスなのは事実です。
しかし、そうではない人がそこまで怖れる必要があるのか。もちろん用心することは大事ですが、怖いからといって家に閉じこもってしまえば運動不足になって、免疫力が下がるでしょう。その弊害をどう考えるのか。新型コロナのことだけを考えて、免疫力を下げてしまったら健康を損なうリスクがある。
3年間、子供たちには、「おじいちゃんおばあちゃんを守ろう」と言って、いろいろな制限をかけてきた。子供の運動不足その他のことよりも、新型コロナ対策を優先してきたわけです。この間、子供が受けたダメージについては真剣に議論されているとは思えない。本当にそれでいいのか、といったことを言うとすぐに「炎上」する。
高齢者についても、1秒でも長く生かすことを医療の目標としている感があります。本来は長く生きるかではなく、どう生きるかが大切だという考え方があってしかるべきです。先進国の大勢はそうであるとも聞きます。
一説には、日本人は亡くなる直前の3カ月に人生で使う医療費の3分の1を使うともいいます。それが本当にいいのか。
そうした問題も正面から議論しないまま今日に至った。そのことが今回の新型コロナ対策と関係しているように思います。
とにかく長生きするために、他のさまざまなことを犠牲にするのがその人の幸福につながるのか、ということと、とにかく新型コロナを抑えこむために、他のさまざまなことを犠牲にするのが社会のためなのか、ということは似ていませんか。
この種の議論をすると、すぐに「人の命を軽んじている」などといったレッテル貼りをされがちなため、皆が何となく敬遠してしまいます。
高齢者や基礎疾患を持つ方など、新型コロナによって命を脅かされるような人への対策はきちんと取り続けるべきなのは言うまでもありません。そして、そのためにもメリハリの利いた対策が必要なはずです。
特に子供たちへのダメージを軽視してはいけないと強く思います。