「勝新さんから“玉緒と寝てやってくれ”と頼まれて――」 梅宮辰夫さんの豪快過ぎるトーク

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勝新太郎の衝撃の一言

 一緒に飲んだなかで印象に残っているのは勝新(太郎)さん。仕事での付き合いは、テレビドラマ化された「座頭市」にゲスト出演した時だけなんです。でも、ある時、飲みに誘われてね。一体、何事かと思ったら、お互い酔いが回ってきた頃に勝新さんがこう切り出すんだ。“おい、辰夫! 玉緒がな、お前のファンだと言ってうるさいんだ。1回、寝てやってくれ!”って。いや、これにはさすがに参ったよ……。

 あと、文ちゃん(菅原文太)は、僕と女房(クラウディアさん)の出逢いの場に同席してくれた。

 その頃、僕のいとこが銀座で伝説のスカウトマンと呼ばれていてね。そいつが“お前の理想通りのいい子がいる。日本人より日本人らしい子だから、いっぺん顔を出しなよ”と言う。それで、“文ちゃん、ちょっと飲みに行こう”って声をかけて銀座に繰り出したんだ。その店にいたのが女房だった。散々お店で飲んだ後に、女房を六本木に連れ出して、明け方の3時くらいまで3人で飲んだ。その間、文ちゃんはずっとふたりの仲を取り持ってくれました。

 文ちゃんのお陰で女房と結ばれたと、いまでも感謝してますね。

 女房との出逢いもそうだけど、誇張ではなく銀座には毎晩通っていたからね。

そりゃモテたよね

 学生時代、銀座を歩いていたところをスカウトされて、20歳で東映ニューフェイス5期生に合格した。銀座で遊び始めたのは26~27歳の頃。当時は、三船敏郎さん、裕次郎さん、宝田明さんといった東宝や日活の錚々たるスターが銀座を闊歩していた。でも、東映は京都が中心で、大泉の東京撮影所には飲み歩く先輩がいなかった。

 僕が「“銀座じゃ日活の俳優しか飲んでねぇよ”なんて言われるのはシャクじゃないですか」と(高倉)健さんをせっついても、「俺はいいよ、酒は飲めねぇんだから」と相手にされない。それなら、というので独自に銀座を開拓し始めた。大げさに言えば、東映の看板を背負って遊んでいるという気持ちもありました。

 昭和の時代だから、映画俳優は、それはモテたよね。ロケひとつとっても、銀座の夕景をバックに撮影することになったら、出勤前のホステスがバーッと集まってきてさ。制作進行のスタッフが、“すみませーん! お静かに!”と怒鳴ったところで、キャーキャー叫んで一向に進まない。こっちで“辰ちゃーん! 終わったらうちに来てよー”なんて声が上がると、“なによ! うちのほうが先よ!”。僕も調子に乗って、“おー、わかった。でも、明日も撮りがあるから今日は3軒だけだぞ!”という感じ。その頃は、銀座で飲むのにお金はいらなかったくらい。もう時効だから白状するけど、飲んでる途中で店のママが耳打ちするんだよ。“あっちで鼻の下を伸ばしてるお客につけておいたから”ってね。

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 タフガイに見える梅宮さんだが、実は30代半ばにがんになり、以来、6度もがんと闘うという人生を送って来た。後編ではその闘病歴に加え、小粒ぞろいになってきた芸能界への苦言ともいえる「遺言」もご紹介する。

後編【「不倫くらいで謝罪なんて呆れてものが言えないね」 梅宮辰夫さんが語っていた「芸能界への遺言」】へつづく

デイリー新潮編集部

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