伝説の69連勝・双葉山が達した「後の先」の境地 詩人のジャン・コクトーも魅了(小林信也)

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「相撲の神様」と呼ばれる横綱・双葉山の69連勝は有名だが、どのくらいの期間で達成されたか、伝わっているだろうか。現行制度なら約9カ月で達成できる。私はずっとそんなイメージでこの記録を理解してきた。ところが、当時は年2場所、しかも連勝が始まったときは1場所11日だから、双葉山の69連勝は丸3年の歳月をかけて作られた。

 1936年1月場所7日目から39年1月場所3日目まで不敗の時期を過ごした。張り詰めた日々の長さを想像すると、単なる数字以上の重みが感じられる。

 双葉山の連勝で相撲人気が沸騰し、徹夜の行列ができたこともあり、37年5月場所から期間が13日に伸び、39年5月場所から15日になった。

 この間に双葉山は、東前頭3枚目から東関脇、東大関(2場所)、西横綱、東横綱と昇進している。69連勝の最初から横綱だったのではない。破竹の快進撃とともに出世し、横綱になった。12年2月生まれだから、69連勝達成は26歳の時だ。

 意外にも、双葉山は幼い頃から怪童だったとか、角界入りした当初から強かったわけではない。5歳の時、遊んでいて友人の吹き矢が右眼に当たり、半ば失明した。家業が傾き、14歳の頃には働きに出ている。乗り込んだ船が海で転覆し、危うく命を落としかけた経験もしている。

 入門後も、稽古熱心は有名だったが、特別強くはなかった。入幕まで4勝2敗や3勝3敗の成績が多かった(当時の幕下以下は一場所6番)。親方衆からは、「誰とやってもちょっとだけ強い」と言われていたという。

 35年、23歳になった頃から体重が増え、相撲が一変した。“後の先”の言葉に象徴される独特の相撲が確立していく。後の先とは、相手が攻めてくるのを受け止め、「一見後れを取ったように見えて実は先に相手を制している」という境地。一般にいう“横綱相撲”の取り口だ。

白鵬も落胆?

 双葉山は後の力士に大きな影響を与えている。直近では、史上最多45回の優勝を重ね、双葉山に次ぐ63連勝を記録した横綱・白鵬(現宮城野親方)が双葉山の体現した“後の先”を目指すと公言し、試行錯誤を繰り返した時期がある。最高位に昇りつめた横綱が、相撲にはさらに奥があると悟り、ひたむきに精進する真摯な姿勢は本来もっと崇敬され、注目されるべきだったが、当時のメディアもファンも、そして相撲界も白鵬の挑戦の成り行きに胸を熱くしなかった。勝ち負けや優勝争いだけに興味が集中し、「相撲を深める」方向性を共有できなかった。哀しいかな、それが現代の日本社会、身体文化の認識レベルだ。高尚なはずの“後の先”への挑戦を軽視され、またその境地を示してくれる師も病身の元横綱・大鵬のほかにいなかった現実が白鵬をひどく落胆させた、と私は感じた。その後すっかり悪役になってしまった白鵬の悲劇。もし双葉山が健在で、白鵬が直接指南を受けていたら、彼の相撲は深みを増し、「力と体重」がモノをいう昨今の相撲も方向性を変えていたのではないだろうか。

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