Jリーグ30周年 元サッカーダイジェスト編集長が選ぶ「思い出のゴールベスト10」芸術的ループシュートも

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世界で一番悲しいVゴール

 次に紹介したいのは「世界で一番悲しいVゴール」と言われた浦和レッズのFW福田正博のゴールである。このゴールの背景には多少の説明が必要なためお付き合い願いたい。

 99年からJリーグは2部リーグのJ2を創設し、シーズン後はJ1の下位2チームとJ2の上位2チームが自動入れ替えとなった。そして、90分での勝利は勝点3、Vゴールでの勝利は勝点2となり、PK戦は廃止された。

 こうして迎えた最終節、16位のベルマーレ平塚は勝点13でJ2降格が決定。残る1枠を勝点25の15位・ジェフユナイテッド市原(得失点差-16)、勝点26の14位・浦和レッズ(同-20)、勝点28の13位・アビスパ福岡(同-16)の3チームが争っていた。

 最終節の試合はいずれも膠着状態に陥っていたが、ガンバ大阪と対戦した市原は後半15分に1点をリード、横浜F・マリノスと対戦した福岡は1点のビハインドだったため、市原の勝点は福岡と並び28と14位に浮上、サンフレッチェ広島と対戦した浦和は勝点26のままの15位へ後退した。

 そして運命のタイムアップ。横浜FM2-0福岡、G大阪0-1市原で下位2チームは勝点28で並んだのに対し、浦和は広島と0-0だったためVゴール方式の延長戦に突入した。しかし、得失点差で2点以上のビハインドがある。

 Vゴール方式は1点が入った時点で勝負が決まり、勝点は2。たとえVゴールで浦和が広島に勝っても、勝点は28で並ぶものの得失点差で1点及ばない。

 浦和の選手たちは状況を理解していた。そして延長後半1分、浦和のMF小野伸二のショートコーナーからMFゼリコ・ペトロヴィッチのクロスを福田が蹴り込んでVゴール勝ちを収めた。

 しかし、ルーキーのDF池田学には、J2降格がすでに決定していたことを知らせていなかった。そのためVゴールの後、J1残留が決まったと思って福田に抱きつくも、福田は手荒に振り払う。「世界で一番悲しいVゴール」の瞬間だった。

磐田、鹿島、横浜、市原の“四つ巴”

 続いて9番目のゴールは、同一人物の登場となった。驚異的な身体能力と複数チームによる優勝争いという特殊な状況下でのゴールだったことが選考理由だ。

 03年のJ1リーグは、2ステージ制ではあったものの、延長Vゴールが廃止され、90分で勝敗がつかない場合は引分けとなり、それぞれ勝点は1。そしてファーストステージを制したのは、岡田武史を新監督に迎えた横浜F・マリノスだった。

 それまで7シーズンにわたってJ1リーグで覇を競ってきたのは鹿島アントラーズとジュビロ磐田の2強だったため、セカンドステージは彼らの巻き返しにどこまで横浜FMが対抗できるかも注目された。

 セカンドステージ最終節、首位は勝点26の磐田(得失点差+6)、2位は勝点24の鹿島(同+2)で、勝点23で並ぶ3位の横浜FM(同+9)とイヴィチャ・オシム監督の指導で力をつけた4位のジェフ市原(同+4)の4チームに優勝の可能性があった。

 磐田(対横浜FM)は勝てばもちろんドローでも、鹿島(対浦和)が4点差以上の勝利を収めない限り優勝だった。2位の鹿島は勝利と同時に磐田の敗戦が条件となり、もし磐田がドローなら4点差以上の勝利が必要となる。そして横浜FMと市原(対東京ヴェルディ1969)は、勝利と同時に鹿島の敗戦かドローが絶対条件という厳しい状況だった。

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