弘道会版“最強秘密諜報部隊”「別班」 その実力を知らしめた北関東抗争の当事者が出所していた

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栃木の利権戦争

 2003年に発生した「北関東抗争」の結果、長い懲役を務めた弘道会傘下組織の組員が出所した。この抗争は弘道会の秘密組織の実力を知らしめたことで知られ、その後の司6代目体制への道を開いたと評価されている。当事者の出所のタイミングで改めて振り返ってみよう。

 まず北関東抗争について振り返っておこう。発生は2003年4月、5代目山口組の直参だった弘道会・東海興業・大栗組(本部:栃木県宇都宮市)と住吉会親和会傘下の7代目田野一家(本部:栃木県さくら市)が、栃木県内における利権をめぐってぶつかり合った。2ヶ月にわたって続いた抗争で死傷者7名を出し、最終的に和解が成立した。

「大栗組は元々テキ屋で、抗争の5年ほど前に弘道会傘下の東海興業入りしました。それが抗争の起点になっているとされています」

 と、竹垣悟氏(元山口組系義竜会会長で、現在はNPO法人「五仁會」を主宰)。

10月25日に満期出所

「トラックやダンプカー特攻、銃撃も含めて激しい衝突が繰り返されました。そんな中で、7代目田野一家幹部を射殺した大栗組の組員は殺人罪で懲役20年の判決が確定したのですが、徳島刑務所で服役していたその男が10月25日に満期出所したそうです」(同)

 6代目山口組の最中核組織・弘道会は、組織のために身体を張った組員やその家族に対して厚遇することで知られている。この組員は出所前からそれなりの“待遇”を受けていたと推察される。ところで20年という歳月は組員をどのように変えるのだろうか。

「懲役のサビ、みたいな言い方があります。考え方が古くなって時代について行けず、出所して惨めな思いをしたりすることを指します。独居房でなければ情報が入りやすいですし、新聞テレビなどに接する時間もありますし、どんどん若い衆が懲役囚としてやってくることもあって、そこまでサビついたりはしないものですね」(同)

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