西山浩司が語る「イモ欽トリオ」秘話 ハイスクールララバイは160万枚売れたのに音楽賞はゼロ、紅白にも出なかった理由

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レコーディング当日にすべて決まった

――1981年4月に「欽ドン!良い子悪い子普通の子」がスタートする。

西山:僕が20歳の時でした。番組が始まって4カ月後、「ハイスクールララバイ」が発売されました。まさかあんなに売れるとは思いませんでした。

――作詞はヒットメーカーの松本隆(74)。作曲の細野晴臣(76)は当時、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の世界的ヒットで大忙しの頃だった。

西山:お二人とも元々はバンド「はっぴいえんど」のメンバーですが、意外なことに商業音楽で共作したのは初めてだったと思います。事前に細野さんの音楽だけが入ったカセットテープを渡されたんですが、聴いてみるともの凄く暗い曲だったんですよ。レコードだと、「♪とにかくとびきりの美少女さ」の“美”で音が上がるじゃないですか。それがなくて、ずーっと低調なままだから、「何これ? 暗いなあ」と思ってました。それでレコーディングの日、靖国神社のそばにあった一口坂スタジオに行くと、お二人ともいらっしゃったんです。ビックリしましたよ、世界のYMOのメンバーですから。

――レコーディング当日、歌詞を渡されたという。

西山:「じゃ、この詞を覚えてきた曲に合わせて」なんて言われても、素人の僕たちにできるわけがない。すると細野さんが、アドリブで曲を変え始めたんです。イントロにクラッピングを入れたり、アップテンポにしてどんどん曲が変わっていった。メインボーカルは健次だから、僕と山口さんヒマでしょ。スタジオの隅で、僕がエアドラム、山口さんがエアキーボードで、YMOみたいなことをやり始めた。そのうちクラッピングに合わせてビンタの真似をしていると、ガラスの向こうでスタッフがバカウケしていたんです。そこで、曲も振り付けも出来上がってしまった。レコーディング当日に、この曲はとてつもないモノになったんです。

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