「小学生も遠足で登る里山」で見つけた人骨 身近な山でも起きうる遭難の実態

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 意外かもしれないが、山岳遭難の現場は、峻険な高山だけではなく慣れ親しんだ低山も多い。そして「いつもの一人登山」を楽しもうとしたひとが消息を絶ったとき、その足跡をたどるのは容易なことではない。

 いくら探しても見つからないという家族から依頼を受け、民間の山岳遭難捜索チームLiSS(リス)のメンバーと代表の中村富士美氏は山へ向かう。

 今回の現場は、奥多摩の棒(ぼう)ノ折山(おれやま)。著者自身も山の中でルートを外れそうになり……。

 中村氏の初著書『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』より一部抜粋してお届けする。

「そんなに難しくない山」のはずだった

 山に登るようになって1年ほどが経った、2012年10月のある日。

「奥多摩の山で、人がいなくなったんだ」

 そうメールを送ってきたのは、私を山に導いてくれた師匠である。

 その時私は、全国の救急医療従事者が集う大会のスタッフとして大阪にいた。

 大会が終わり、東京の自宅に戻った後、電話で話した。捜索はすでに打ち切られたのだが……と言って彼が口にした山の名前は、地元の小学生も遠足で登る里山だった。名前を棒ノ折山(標高969メートル)という。

 私は週末、その山に登ってみることにした。

 初めて訪れる山だったが「そんなに難しくないかな」という感触だった。

 ダムの湖畔に登山口があり、そこから沢に沿って山頂を目指すコースだ。最初は水の流れる沢を数十メートル下に見ながら歩くが、登るにつれ次第に沢と登山道が合流して、やがて沢そのものが登山道になる。足元には大小様々な大きさの岩がゴロゴロと転がっており、時には沢を渡ったりもする。濡れていて、しかも不安定な岩や石も多く足元がおぼつかない。そのような登山道を登るのも、初めてだった。

 後々知ることになるのだが、道迷い遭難をしやすい代表的なパターンに「登りの沢、下りの尾根」というものがある。

 沢は石や岩を乗り越えたりして登ることもある。また、飛び石伝いに沢を渡りながら登ることが多く、登山道の傾斜を感じにくいのが特徴だ。そのため、道に迷ったまま沢を進んでしまうと、気が付いた頃には、自分が想像していた以上に山の深いところまで入ってしまっているというわけだ。一方、尾根は末広がりになっていくため、正しいルートから外れたまま尾根を下っていくと、自分がどこにいるのか、そしてどこに向かっているのか、分からなくなってしまうのである。

正しい山道が分かりづらい地形

 山を登り始めて1時間ほど。

 私は15メートルくらいの高さの切り立った岩が両側にそびえ立つ箇所にたどり着いた。

 このような地形を登山用語で「ゴルジュ」という。まるで、大きな門のように、両サイドに岩が立っている。

 岩と岩の間も人が通れる余裕はあるが、そこは沢の水がくるぶしくらいの深さまで勢いよく流れている。ゴルジュの先も、ずっと沢が続いているのが見える。

 難しいコースに挑んでいるという意識はまったくない。だから、まさかこのまま沢の中を進むなんてことはないだろうと思った。ここは景観を楽しむスポットで、先に進むには迂回しないといけないのかな。視線を上げると、ゴルジュの手前は、左右どちらも少し傾斜がきつそうだが、なんとなく土が踏みならされた道らしきものがある。正しい登山道を指し示す標識はない。木々が生い茂り、先がどうなっているかは見えないが、どちらかを通って岩を迂回すれば、ゴルジュを抜けた先に出られるのかな、と思い、右手に進んだ。

 しかし、少し歩くと先に道がないことに気づいた。「あれっ」と思い、ゴルジュの手前に戻って、今度は左手を進もうとした。すると前方からこちらに複数の登山客が戻ってくるではないか。そして「ここ、登山道ではないですよ、戻ってください」と、声をかけてくれた。

 どうも、ゴルジュを回避して進もうとすると、そのまま登山道から外れ、山中へ入り込んでしまうようだった。

 正しい登山道は、私が最初に選択肢から外した、岩と岩の間を流れる沢の中の飛び石を伝って進むルートだったのである。

 この経験を師匠に話したところ、「まだ見つけられていない人を探すため、ぜひその場所を案内してほしい!」と言われ、一緒に向かうことになった。

 ゴルジュに着き、「ここで迷って、岩をよけて、左右どちらかに迂回して登ると思いました」と伝えた。

 すると彼は「え? ここ?」と首を傾げた。山に精通している人間からすると、ここではゴルジュの真ん中を通るのが当然であり、迂回するなんて思いもよらないのだそうだ。

「よく見てごらん、ゴルジュの先に階段状の岩が見えるでしょ? あれが登山道だよ」

 と指摘された。よくよく目を凝らせば、確かに奥の方に手すり替わりに設置された鎖が見える。

 しかし、初心者ハイカーの私はこの山を登った時、「こんな沢の中を進むなんてことはないだろう」と思ったし、同じように考えた登山客も実際にいた。

 遭難者につながる何かしらの手がかりがあるかもしれないと思い、師匠と共に、まずは岩の左手を奥まで進んでみることにした。

 その先の道は、足元に岩がたくさん転がっていて不安定なうえ勾配もあり、とても歩きづらいものだった。私は山歩きに慣れている師匠のペースについていけなかった。

 10分ほど歩いたところで、汗だくになり、私は一度立ち止まってあたりを見回した。その日の天気はとても良かったが、あたりは紅葉した木々に覆われて薄暗い。左右には、これまで見たこともないような、苔むした大きな岩壁がそびえ立っている。

 その景色を見上げていると、ふと色褪せたオレンジ色の布が目に入った。

雨具の中から腕や肩などの人骨が出てきた

 私が見ていた左手の斜面は、大きな岩の隙間からところどころ細い木がひょろりと生えている。その1本の根元に、雨具のような衣類が引っかかっていたのだ。あたり一面が苔に覆われた中で、それはとても目立っていた。その岩の先はどこにもつながっておらず、切り立った崖となっている。転落して死亡した登山者も過去にいたということを、のちに知った。

 すぐに先を進んでいた師匠を呼び止めた。

 どうしてあんなところに引っかかっているのだろう? 登山客の忘れ物かな? そう話した後、師匠が斜面を登って確認すると、それは登山用の雨具だった。雨具から20~30メートル横には、デイパックも置き去りにされていた。持ち主の情報が分かるものがないか中を確認してみると、登山用品のほかに財布とキャッシュカードが出てきた。そこにある名前は、私たちが探していた方ではなかった。

 丸まった雨具の方も手に取ってみる。

 すると、中から腕や肩などの人骨が出てきた。

 これは、ただの落とし物ではない。

 この山で遭難した方のご遺体と持ち物だった。

 身近な里山で、こんなことが起きるのか。予期せぬ事態に私は混乱した。

 師匠は、「この山の管轄警察に、状況を説明して指示を仰ごう」と言い、すぐに電話でこれまでの経緯や確認した物について説明をした。

 電話を終えると、師匠がこう私に教えてくれた。

「この人、3年前にこの山で遭難して行方不明になっていた人みたいだよ」

 しばらくすると、管轄警察の山岳救助隊が私たちのところへ到着した。

 私たちから改めて説明を聞いた後、彼らは遭難者のご遺体の位置や所持品などを検分し始めた。山岳遭難者が発見された場合、事故なのか、事件なのかを判断するために、警察による現場検証が必要なのである。

 救助隊の人によれば、ご本人のものとみられる骨がほかの場所からも見つかったことから、おそらく動物が雨具を咥(くわ)えて移動している途中で私が見つけた木の根っこに引っかかってしまったのだろう、ということだ。

3年越しの発見

 これまで、看護師として、救急の現場で10年以上も働いてきた。容体が急変した高齢者、交通事故で亡くなった高校生、親から虐待を受けた幼い子供、自殺……様々な形の死を目の当たりにしてきていた。

 しかし、死後3年も経った方のご遺体を見るのは、この時が初めてだった。ましてや、初心者コースにも紹介されるような山の中で、だ。

 登山道からほんのわずか外れた場所……そんなところで3年もの間、たったひとりで見つけてもらうのを待っていたのかと想像したら涙が止まらなかった。

 そんな私に師匠は声をかけてくれた。

「見て、この景色。ここで亡くなった人が最後に見た景色だよ。この景色を自分たちが忘れないでいることが、見知らぬ方への供養になると思うよ」

 その言葉で私は顔を上げて周りの景色を眺めた。山間(やまあい)から遠くには街並みが見え、辺りは木々が生い茂り、人間の力ではびくともしない岩塊が、自然の力強さを感じさせる場所だった。

 どんな気持ちでこの山を選んだのだろうか、どんな気持ちでこの山に入ったのだろうか、遭難した時、何を思ったのだろうか、ようやく自宅へ戻ることができて、安心されただろうか。

 数日後、私はお花とお線香を手向けるため、再びこの現場を訪れた。

 それから数ヶ月後、私たちが見つけたご遺体と、所持品にあったキャッシュカードの名義の方のDNA型が一致したとの報告を受けた。

『「おかえり」と言える、その日まで―山岳遭難捜索の現場から―』より一部抜粋・再構成。

デイリー新潮編集部

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