初代若乃花が角界に残した偉業と混乱 ガチンコ相撲の藤島勢を揺るがせた?(小林信也)

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 初代・若乃花は「土俵の鬼」と異名を取り、3歳上の栃錦と並んで「栃若時代」を築いた名横綱だ。

 身長179センチ、体重107キロ。「戦後最軽量横綱」ながら優勝10回を記録した。

 若乃花は昭和、平成の相撲界に大きな影響を与えた。もし若乃花がいなければ、現在の相撲人気は存在しただろうか? なぜなら、兄を追って相撲界に身を投じた花田満は初代・貴ノ花として特別な人気を誇り、昭和の土俵に華やかな輝きを添えた。さらに、一大ブームを巻き起こした若貴兄弟は言うまでもなく貴ノ花の子、つまり若乃花の甥だ。若乃花が角界で成功していなければ、貴ノ花も若貴兄弟も相撲界に入らなかったかもしれない。そう考えると、若乃花の功績はあまりにも大きい。

 若乃花こと花田勝治は1928年3月、青森県のリンゴ農家の長男に生まれた。両親は勝治を頭に10人の子に恵まれる。34年の室戸台風で畑の作物が全滅、破産状態で一家は室蘭に移住。勝治は早くから沖仲仕などの力仕事で一家を支えた。

 終戦直後の46年、二所ノ関一門の巡業が室蘭に来た時、勝治は飛び入りで参加した。背は高い方だが、体重は70キロ程度。力士に比べてずいぶん細身だが、プロを何人か破る殊勲を立てた。これが二所ノ関部屋の幕内・大ノ海の目に留まり、内弟子として入門した。

 やがて勝治にオオカミのあだ名がついた。新弟子時代、勝治をかわいがってくれたのが、後にプロレスで一世を風靡する力道山だった。ある朝の稽古で、もう立てないくらいに“かわいがられた”。このままでは殺される、それでも髪をつかんで立たせようとする力道山の脛に勝治はかみついた。その鬼気迫る姿がオオカミのようだった、それでついたあだ名だ。力道山がプロレス転向後、黒いタイツを常用したのは、その時の脛の傷を隠すためだという説もある。とにかく、容赦のない、厳しい時代だった。

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