初代若乃花が角界に残した偉業と混乱 ガチンコ相撲の藤島勢を揺るがせた?(小林信也)
初の横綱全勝対決
53年、引退した大ノ海が花籠部屋を興すと若乃花はその一番弟子となった。初土俵から入幕まで一度負け越しただけと着実に出世を重ねた。体重こそ軽いが、下半身の強さに特別なしなやかさがあり、大きな力士とも四つ相撲で引けを取らなかった。押し込まれ、俵に足がかかってから土俵を割らない粘り強さは「かかとに目がある」と形容された。
55年9月、若乃花は関脇で10勝4敗1引き分けの成績を上げる。引き分けは、横綱・千代の山との一番だった。若乃花の得意は左四つだが、打倒・千代の山のために右差しに取り組み、研究を重ねた。その成果が発揮された一番だ。千代の山と若乃花は互いに譲らず、水入り取り直し、17分15秒取ってなお勝負がつかず、引き分けとなった。横綱相手の大健闘が評価され、若乃花は大関に推挙された。直前3場所は28勝だから、本人も驚いた異例の昇進。それほど千代の山との一戦が衝撃的だったのだろう。
58年3月に横綱昇進すると、先に昇進していた栃錦としばしば優勝争いを演じた。横綱になる以前は若乃花の9勝15敗だが、横綱同士の対戦は6勝4敗。最後の対戦は60年3月場所の千秋楽。全勝同士の相星決戦だった。これは「相撲史始まって以来の横綱全勝対決」だった。互いに高ぶる気持ちを抑える術がなく、前夜偶然にも同じ映画館にいたという。若乃花が後年インタビューに答えている。
「映画を見たあと、(いつもと)同じ量の酒を飲んでね、部屋帰って寝たんだけども、よー寝たなと思ってもまだ3時間か4時間だった。目がパッとさえちゃってね」
相撲は土俵中央、左四つでがっぷり四つの勝負になった。両回しを引きつけ合い、先に若が仕掛けるが、栃が残す。両者とも筋骨隆々。動きが鋭く、ひとつひとつの攻防、力の作用が剥きだしで見える。互いに仕掛け合ったあと、栃が下がりながら巻き替えに行ったところを若が攻め入り、右前みつを押し込んでそのまま栃を寄り切った。栃は、若と目を合わせることなく土俵を降りた。翌5月場所、栃錦は突然引退し、栃若時代は終わりを告げた。
元貴闘力の嘆き
若乃花も62年5月に引退。花籠部屋から独立し二子山部屋を興した。猛稽古を看板に、大関・貴ノ花、横綱・二代目若乃花、横綱・隆の里、大関・若嶋津らを育てた。そこまでは、「土俵の鬼」の面目躍如。ところが晩節の行動がいまに至る相撲界の混乱の要因だと、厳しく糾弾する声がある。
定年に際し、部屋を弟子に継承するのでなく、すでに藤島親方として角界の中核を担っていた弟に託したいと望み、合併を迫った。当初は遠慮した弟も兄の意向に従うしかなかった。そのため、ガチンコ相撲で隆盛をきわめた藤島勢と、甘さのある二子山勢が合流し藤島の厳しさが揺らいだ。
「タバコを吸って何が悪い」とうそぶく旧二子山の兄弟子を改心させるのは不可能だった。「あれで終わった」と、藤島部屋育ちの元貴闘力は自身のユーチューブで嘆いている。まだ若い若貴兄弟も相撲界にはもういない。その意味で初代若乃花は相撲界に風雲を巻き起こしながら、何も残せずに去った悲しき存在かもしれない。
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